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「五、去るモノと旅立つモノ」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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五、去るモノと旅立つモノ


 どこをどう歩いたのか、わからなかった。
 意識がはっきりとしたのは、腫上がった頬に冷たさを感じたから。
 焦点の合わない視界に、ヒゲツが映った。
「………」
 どんな表情をしているのか、わからない。
 ただ、気遣いが指先から伝わってくるだけだった。
 唇を動かそうとして………、なかなか動かなかったので、動きの鈍い手を懸命に動かして触れてみた。いくつもの細かい傷があってガサガサした。
 コウは不鮮明な視界に映るヒゲツに、問いかけた。
「ココは、ヒゲツの家?」
「いや、お前の家だ」
「そっか………」
 そういえば、ヒゲツの家で初めて目を覚ました時、自分の家と間違えた。雰囲気が、似ているのだ。通る風や駆け抜ける光が、同じだった。
 だから、まだ自分はヒゲツの家にいて悪い夢を見たのだと、そう思いたかった。
 思いたかった。
    カヤ、フィユー………
 もう、会えない人達。
    お父さん……、お母さん……………
 もう、いない人達。
 夢では、ない。
 息を吐き出すと、苦しげな思いを宿して出て行ったので、ヒゲツが眉を顰めた。
「痛むか」
「わからない………」
「わからない?」
「うん、わからない」
 たどたどしく答えたコウの額にヒゲツが手を置く。
「ヒゲツ?」
 ヒゲツの掌から温かさが流れてきた。流れ込んでくる温かさに、重く痺れていた身体が楽になっていくのを、感じる。
「何、したの……?」
 急激な眩暈が襲ってきた。
「なんか、温かいような……力強いような、変な感じがして……………」
 うまくまとまらない言葉に、コウは眉間に皺を寄せて考え込む。
「さぁな」
 ヒゲツは曖昧な返答をすると、今度は目を覆う。
「今は眠れ。それが、いい」
「……うん」
 小さく首を動かすと、コウはすぐに寝息をたて始めた。
「―――」
 ヒゲツはそっと、手を離していった。コウの温かさが残る自分の手を緩く曲げ、思慮深げに眺めて「まだ、大丈夫だな」と呟くと、視線をコウへと戻す。
 疲れが濃く滲んだ顔だった。いや、疲れというより陰影が刻まれていた。まだ、幼さを残す顔。人間がひた隠しにする闇(モノ)に触れ続けていたのに、今の今まで己を保っていた強靭さは、感嘆に値するものだ。
「闇、か………」
 そっと、瞼を閉じる。光を遮ろうと、目を背けようと、逃れることの出来ない光景。
 もう、心が動くことはなかったが………今の自分はフとした瞬間にそれが見えた。浮かび上がる情景が、自分という存在の形を知らしめる。
 ゆっくりと、瞼を開く。
 闇は、まだ深い。
 ヒゲツは手をきつく握り込み、膝の上に置いた。

 見慣れた天井が、見えた。
 生まれた時から見ている、自分の家の風景。
    でも、一人だ………
 痛みを、感じる。けれど、動けないほどではなかった。
 天井を眺めていた目を動かすと突然視界が真っ黒になって、慌てた。
 濡れた布地だった。額を冷やしていたのだろうそれは、中途半端な温かさがあり気持ち悪かったので、顔をふって落す。ぺちゃりと、耳を叩いて落ちていった。
 もう一度、視線を動かしていく。天窓の大きさに切り取られた空は、不思議な青さを秘めていた。
 もうすぐ夜が明け、闇が退く。
 外にでたいと、思った。太陽が顔を出すまでの世界を、見たかった。逃げ遅れた闇の欠片と急(せ)いだ光がぶつかり、交わり、自分の知る色彩(いろ)では言い表すことができない世界を創るのだ。
 コウは身体を起こし、なかなか言うことを聞かない足を何とかして立たせる。
「起きれるのか」
 戸口が開き、ヒゲツが入ってきた。
「うん、大丈夫さ」
「もう少し休め」
 ヒゲツは水を張った桶を持っていた。額を冷やしていてくれた配慮から、頷きそうになったけれど、外にでたかった。
「でも、大したことないし………」
 外は、普段見ることが叶わない世界を創ろうとしているのだ。何度見ても飽きることのない夢幻の一時を、見たかった。
「思ったより身体動くし、大丈夫」
 だから、外にいくという主張は、先に言葉を発したヒゲツに押し留められた。
「では、聞きたいことがある」
「……?」
「座ってくれまいか」
「でも――」
「頼む」
 ヒゲツの真摯な目に、コウは天窓と対面する位置に座った。家の主である自分は天窓の真下が席となる。けど、ヒゲツがそこに座るべきだと、そう思えたから自分は天窓と対面する位置に座った。
 ヒゲツは何か言いかけたが口を閉ざし、少し間をあけてから天窓を背にして座った。そして、深く呼吸をしてからコウを見た。
「すまないが、これを拝借させてもらった」
 懐から出されたモノを見て、コウは首を傾げる。
「巻物、が……どうかした?」
 何が書いてあるかわからないが、カヤが虫干ししていた冊子の中にいくつか混ざっていたのを覚えている。ヒゲツが手にしているのは特に小さくて、印象に残ったものだった。
「これは、いつからある?」
「へ? いつからって………ずっと、あったよ」
「ずっと、か」
「そう、だって字が綴ってあるものは、村の人達は必要ないからって持たない」
 だから、そんなものを後生大事に持つ自分の家は笑われた。
 ヒゲツは、呑み込んだ息を長く吐いた。
「この、落款は―――一族の印だ」
「ら、かん……?」
「我が一族が、使っていた。この印を有するということが、即ち我等、月の彌族(みぞく)」
「ヒゲツ……?」
 突然俯き、何かを堪えるようにヒゲツは肩を震わせた。
「ヒゲツ、どうし―――」
「お前達はいつから〝キ〟と呼ばれている?」
「え…、わからないよ」
 昔から言われていた、自分の家系を表す音。そのことを意識した事はなかった。それが、鬼を意味するというコトはついさっき知らされたのだ。
    鬼―――、
 自分の中に流れる血は、村から忌み嫌われるモノなのか。
 自分の思考(なか)へ沈みかけたコウに、ヒゲツが言う。
「キは、徽―――よきしるしという意味を持つ言葉で、絹布を作り上げるのに最高の素材を示す言葉でもある」
 顔をあげたヒゲツの目の縁が、光っていた。
「我等一族が、優れた部族と敬われた一つに、薄絹を作るための糸を………最高級の糸を作る技術を持っていたことがある」
 また大きくヒゲツは震えた。堪え切れなかった光が、目尻から一筋零れていく。
「やはり、そうだったか……………」
 手にした巻物をそっと撫でた。
「この家は、我が一族のそのものだ」
「……?」
「棟の形こそ違うが、組木の仕方、炉の形、間取そして何より天窓を使い刻を知る術…………すべて、一族の持つ技法だ」
「なに、言ってるの………」
 ヒゲツは、話し続けた。
「しかも、秘技を収めた巻物を有している。隠され続けた技術について知るのは、直系……もしくは、それに近しい者」
 戦には、祖父と父の他にも秘技を知る者が幾人かいたのだ――――と、ヒゲツは笑った。
 ヒゲツが何を話しているか、よくわからなかった。けれど、ヒゲツは話し続ける。その言葉は、コウへと向いていた。
「お前は、我の一族の者だ」
 何を言われたかよくわからず、コウは首を傾げた。優しく細められたヒゲツの目に、嬉しさが滲んでいた。
「戦にでて、帰ってこなかった者の血をひく子」
 ほぅっと、溜め息をつく。
「探していた………我と同じ血を受け継ぐ者。探してはいたが、会えるとは思わなかった」
 掌で目を覆い、溢れようとする感情を抑えていたが、ヒゲツが歓喜していることは全身から滲み出ていた。
「勝手に、喜ぶな―――」
 耳に届いた昏い声を聞いて、コウは驚いた。今言ったのは自分なのか――――と。けれど、訝りはすぐに別の感情に取って代わった。
「そんなこと言われても、嬉しく……ない」
 自分にとって家族は、カヤだ。血を分けた、たった一人の家族。―――いや、フィユーも。
「嬉しくない!」
 コウは、立ち上がって叫んだ。
 フィユーも大切な、家族。頼る者がいない自分達にいつも、いつもいつも優しかった。でも………もう、いない。フィユーは、自分が見送った。カヤは………。
 自分が何を考えているのか、わからなくなった。
「カヤは………どこに、いったの……………?」
 言ってどうにかなることではない。それはどこかで理解して(わかって)いた。わかっていたけれど、止められなかった。
「もう、会えない……の?」
 コウは、ヒゲツを睨みつけながら言った。ゆらゆら、ゆらゆら、不安定に揺れ動く瞳を見つめ、ヒゲツは唇を引き結ぶ。
「カヤに、会いたい………会いたい、のに」
 何をしたいのか、わからない。言葉が、勝手にでていく。それを耳にして益々わからなくなっていく。
「カヤに、会える?」
 何をしたいのか、どうすればいいのか、訳がわからず……………コウは、縋るようにヒゲツを見た。
 ヒゲツは、瞼を閉ざし、ゆっくり―――コウに答える。
「ソレは、我の出すべき答えではない」
 瞼を押し上げ、虚ろの眼差しにヒゲツは言う。
「自分で探すことだ」
 ヒゲツの言葉が、空洞(から)になったココロに響いて………、わんわんと響いていって、煩かった。コウは、耳を押さえる。でも、ヒゲツに言われた言葉はどこまでも響いていく。自分を喰らおうとする………厳しい現実。どこまでも真摯な事実。
 逃れられないのだと、言われているようだった。
 自分を見つめる、目。真っ直ぐで少しも揺るがない、目。頭の中が………真っ白になった。
 気づいたら、コウはヒゲツの横頬を殴っていた。
 ヒゲツが立っていれば、コウの拳は届かなかった。でも、ヒゲツは座ったままでコウの怒りをそのまま受け止めた。
 拳から全身に流れた痺れは、痛みに変わる。
    ―――痛い、
 痛みを感じて、自分の取った行動に気づいた。
「ごめんなさい………」
 ヒゲツの顔を見れなかった。自分勝手な感情に任せてまた自分の周りにいる人を傷つけた事実に、コウはただ謝るしかできなかった。
「ごめんなさい」
「何故、謝る?」
 ヒゲツは、穏やかだった。自分を落ち着かせてくれる声音を耳にして、居た堪れなくなる。会ってから変わらなかった穏やかさ。それが、たった今。探し続けていた血縁を見つけたと、喜びに染まっていたのだ。ヒゲツの抱いた想いの深さを思い知らされる。
 それなのに、自分は……………。
「ごめんなさい」
 身体の内側が、締め付けられているようだった。
「お前が、悪いわけではない」
「ごめんなさいごめんなさい、ごめ…ンな……ぁい」
「コウ」
 強く名を呼ばれて、コウは口を閉ざした。大きな手が肩に触れて、座るように促される。コウは、ヒゲツの傍らに腰を下ろした。
「コウ」
 名を、呼ばれる。顔を上げるべきだと、わかってもなかなかできなかった。床に落ちている手を握りしめて、深く俯いた。
「済まぬ。嬉しさに任せて話しすぎた」
 ヒゲツは、頭を下げた。
「悪かった」
「………」
 謝らないで欲しかった。謝るべきなのは、自分なのだから―――――そう言いたかったけれど、舌が回らずコウは懸命に首を振った。
 ヒゲツに頭を下げてもらいたくなくて、膝の上に置かれる手を掴む。その手は、ひんやりとしていて………心地好かった。
 ヒゲツと、目が合う。
 うまくでてこない言葉の代わりに、必死に目で訴えた。
 ヒゲツは、目元を柔らかくし、「そうか」と小さく頷き、なら、お前も謝るな―――と言った。
 ヒゲツがそう言うと、すとり、胸につかえていたものが落ちて、やっと楽に息ができるようになった。
 何度も呼吸を繰り返すと落ち着いてきて、今までの出来事を反芻することができた。手が、震えた。でも、自分の身に起こったコトを考える。そして、一つの疑問が浮かびあがった。
 それについていくら考えても自分では答えがだせない。コウは………ヒゲツを見た。
「カヤは、どこにいったのかな」
 〝迷子〟となった者は、村から姿を消し、二度会う事はない。〝迷子〟になったリャンは箱に詰められ男に担がれていった。では、カヤは―――――?
 自分では、わからなかった。
 ヒゲツなら、わかるのではと、思った。村以外のことを知っている彼なら……………コウは、ヒゲツが何か言うのを待った。
「………」
 真っ直ぐな、眼差しだった。先程見せた不安定さは、なかった。ヒゲツは瞼を半分下ろし、伝える言葉を思案する。
「村から姿がなくなったのなら、外へと売られたのだろう……………」
 言葉が、途切れる。
 ヒゲツは、躊躇した。掌で口を覆い、コウを見る。――――自分の言葉に一縷の望みを託す、縋る目と己の目が重なった。
「売られた人間は、人間ではない。他所の村で給仕を担っているか………」
 次の言葉をだすには逡巡したが、少しでも手がかりを必要とするコウは「他には?」と詰め寄ってきたので、誤魔化すことはせずに答えた。
「最悪、都市に売られたかもしれんな」
 コウは、ヒゲツの言葉を黙って聞き、憤りと不安を隠すために拳を握り、唇を噛み締めた。
 都市―――ギラムが口にしていた言葉だった。彼が言った所為かもしれないが、あまりいいようには捉えられない。
 コウは俯き、苦しげに息をした。
「都市は、数多くの人間が集まる。そして、人間が様々なコトを作り出す。それらは簡単にヒトを傷つけ、貶める」
 ヒゲツの吐く息が、コウの緊張をさらに昂らせた。
 しぃんと、冷えた空気が二人を囲う。その冷たさにコウが堅くなってしまう前にヒゲツは、ゆっくり話しかけた。
「行くのか……?」
 コウは、肩をあげて空気を吸い込み、吐き出す前に答えた。
「行く」
 強い心を宿した言の葉を、放った。
「今すぐ、行く」
「―――そうか」
 コウの決意を確かめると、ヒゲツは険しい表情を浮かべた。
 一瞬にして、空気が変わる。
「……ッ」
 穏和さが消え、厳威がヒゲツを包み………、コウは竦み上がった。
「なら、心せよ」
 嘘偽りを許さない光が、コウを見る。
 ヒゲツの瞳に映る自分が自分を見つめた。
「自分を生かせ」
 強い眼差しで、ヒゲツは言う。
「どんなことがあっても、自分を生かせ」
 凛と、ヒゲツの声は辺りに響いていった。
「成し遂げたい思いを抱き、生まれ育った地を離れる以上、自分を殺すな」
 そう言い終えると、ヒゲツは口を閉ざした。
 しんと、静けさが耳を打つ。
 身体が、これ以上に無いほど緊張していた。心はじんじんと痺れている。
 言われた言葉の意味は、よくわからなかったけど、重みは伝わってくる。
 今まで感じた事の無いその重さに、思わず退きそうになったけれど………ぐっと腹に力を込めてコウはしっかりと頷いた。
「うん、わかった」
 カヤを探す。そのために、自分はココをでる。
 ヒゲツの伝えた言葉の深さをまだ実感できずにいるコウは、決めた事柄を何度も繰り返すだけだったが、今はそれで充分だった。
 胸に宿した決意を確かなものにしたコウを見て、ヒゲツは幽かに微笑んだ。
「外に、行くか」
「え?」
 唐突さに驚いたが、泡沫の世界を見たいと思っていたのだ。そして………自分は〝外〟へ行くと、決めた。
「行くのだろう?」
「うん」
「もうすぐ、日が昇る」
「……うん」
 ココで見る最後の光景だと、コウは胸のうちで呟いた。
 家にあるものは生活するのに必要なものでも、出ていく者に必要なものは数える程しかなかった。価値というものがある品物があった。外に慣れたら貨幣に換えればいいとヒゲツは言う。貨幣というものを知らないと答えたコウに、それがわかるまで決して人に見せてはいけないと、ヒゲツはきつく言い聞かせた。家では旅支度ができなかったけど、ヒゲツが自分の家にあるものを持っていけばいいと、言ってくれた。旅は、ヒゲツの家から始まりそうだった。
 戸口を開けると、澄んだ空気が二人を包んだ。
 光と闇が混ざり、説明できない青さが世界を染めている。
「夜が、明ける」
 稜線が光に縁取られていた。もう少しすれば、稜線から湖へ光の橋が架かり、光が甦ったことをヌシ様に知らせる。
 幼い頃、母に聞いた語りを思い出す。
 その光の橋を通ってヌシ様が遠くへと足を運ぶことがある。だから、湖の源へと長く船を出す時は、光の橋が架かっている刻に行くと、ヌシ様の加護が得られるのだと。
 炉に焚いた火を暖にして、母の語りを聞いた。母は、ヌシ様に纏わる語りと村に伝わる昔語りに長けていて、家族が寄り添う時に聞かせてくれた。
 遠い日のことだ。
 幸せに包まれていた時だった。
「夜が、明ける………」
 もう一度、コウは呟いた。
 それは、自分にとっての新たな始まりを告げるものだ。
「コウ」
 呼ばれ、ヒゲツへと視線をむけると、ちょうど光を背負う位置にヒゲツはいた。眩しくて、コウは目を細める。
「ついてってやりたいが、どうやら私はここまでだ……………」
「え……」
 ヒゲツの顔は逆光で良く見えなかったけれど――――何か、違和感を覚えた。少し、様相が違うように、………否。少しずつ、少しずつ、今コウの目の前で変わっていた。
「あ、――」
 声が、漏れる。
「どうしても、祖父の、そして父の最期を迎えた地を知りたかった」
 ヒゲツのカタチが、変わっていく。
「一族を、見つけたかった。その願いを叶えるため、我は………理に反した存在となった」
「え……?」
 意味の解らない言葉にコウは聞き返したが、ヒゲツは曖昧に笑うだけだった。
 光の筋が、一つ二つ増えていく。
「血を、浴びてしまったからな。光の無い時はどうにかできたが……………もう、この姿を保つのは難しい」
 己の存在の定義をほのめかしたヒゲツの容(かたち)が、変わっていく。ちろりとコウを見た瞳は、自分と違って縦に細長くある。
 知らず、コウの足は後ろに下がっていった。
 脅えるコウの様子に、ヒゲツは笑った。悲歎に染まったものではなく、ただ……静かに笑った。
 顔の両端まで裂けた口での笑いは、恐ろしく――――――また、一歩。コウは動かなくなりそうな足を必死に動かして、後ろに下がる。
「――」
 コウの姿が、遠い…………あの日に見た幼子を思い出させる。
    あれは、確か自分の身内の者だったはず………、
 もう、定かではない―――――遠い遠い過去。
 自分が、ヒトとしての容を持っていた頃のことだ。
 シャアァア……と、空気が音に裂かれた。
 膝に力が入らなくなって、コウはその場に尻をつく。底知れないモノが凝り固まって出来た存在から逃げ出したいと思うのに、足は立たず、視線が絡み取られて逸らせなかった。
「あ、……あぁ…」
 息継ぎの時に漏れ出した、声にならない悲鳴が聞こえ、ヒゲツは苦笑した。けれど、それは先の裂けた舌がちろりと口の回りを舐める動きとなり、コウがますます身体を固めた。
 瞬きを忘れた目は、恐怖に染まっている。
 その目は―――――随分と昔にも見た。
    そういえば、あの子供もコウという音を持っていたな…………
 遥かへと流れた記憶を手繰り寄せよう首をもたげると、今までよりも近い位置にある空に真っ黒な彩が交ざっているのが見えた。
 蒼穹を穢していく、モノ。
 観ると、村から立ち上がっていた。あの騒ぎで理性を消失した者達が、衝動に任せて破壊を繰り返しているのだろう。
 黒い煙が、暁の空を穢していく。
 人間が空を疵つけている光景だった。
    あぁ……、
 ヒゲツは、息を漏らした。
 それは鋭い音を発して、辺りに響いていく。
    あの日も、とても綺麗な空をしていた……………
 たちこめる黒煙の隙間から覗く空を、ヒゲツは眩しそうに見続けた。

 昼餉の準備をしている時、来たのだ。
 祖父と父が率いる者達ではなく、見たことのない御印を掲げる男らが、たくさんたくさん郷へと来た。
 そして、郷は燃えていった。
 郷の者達の腹を満たすため熾されていた竈の火とは別の火が、郷を焼いていった。
 祖父と父が帰ってきた時すぐに見つけられようにと、丘にいた自分。郷から外へと続く唯一の道がよく見える秘密の場所。郷は見えなかった。けれど見えなくても、わかった。郷が、燃えている―――と。ひたすらに、家路を辿る。
 怒号と、嬌声と、歓喜と―――――幾多数多の、悲鳴。
 見知った者達があげる、何重もの叫び。
 何が起こっているのか、判らなかった。
 どうなっているのか、理解できなかった。
 わからなかったけれど、ひたすらに走った。
 丘から家へと走っていく間に広がった光景。知らぬ事などないと思っていた郷の、初めて見る光景。
 臓腑(はらわた)が、軋んだ。
 身体の奥の奥から何かがせりあがってきて、呼吸を苦しくさせて、何度も足を縺れさせた。
 立ち止まったら動けなく。
 どこかで冷静に考える自分の声に、倒れそうになる身体を叱咤し、足を動かした。
 悲鳴が、聞こえる。
 どうすればいいのか、わからなかった。
 ただ、走り………家へと向っていく。
 聞こえてくる悲鳴に耳を塞ぎ、家へと走った。
 家に着くと――――――門の手前で妹が、出迎えてくれた。自分にいつも飛びついてくる妹は、ぴくりとも動かなかった。
 ふらふらと門をくぐり、家の中へと足を進める。代々仕えてきた者とその家族らが庭先にいたが、いつものように挨拶をすることはなく、不自然な体勢で……………動かない。
「姉上……」
 玄関から家にはいると、姉が横たわっていた。剥ぎ取られた衣服の替わりに、身体のいたるところから流れる血を、身に纏っている。すぐ傍に、妹が二人似たような姿でいた。
「母上、母上―――」
 奥へと進む自分の足先を、短刀が切りつけてきた。
 留守を任された母が父から手渡されたものだった。その短刀が鞘を失い、転がっている。
「………」
 母は奥座敷に連れ込まれていた。
 楚々とした美しさとたおやかさを持った女(ヒト)だった。言い訳の聞かない子供らを叱る姿すら美しいと言われる母だったのに―――――そのヒトは………見た事もない形相をして、真っ赤になって転がっていた。
「あ、あ、………あぁああああ」
 声が、零れる。腕を無茶苦茶に振り回しながら庭に転げ落ち、喚いた。大きく、周りへ響いていく、空気が震える音。
 それは、血に飢えた者を呼び寄せた。
「なんだ、餓鬼かぁ」
「そうでもないぞ……」
「でも大人でもねーー」
 ギラギラ輝く刀で肩を叩く男が、ぼやく。
「つまんねぇなーー、無抵抗のヤツはつまんねーよ」
「なに……」
 頬の半ばまで髭に覆われた男が言う。
「女子供の肉は柔らかい。面白いほどになぁ」
 そう言って、手にした得物で天を突く。
「自慢の薙ぎかよ」
「上様から、授かったんだって?」
「ああ……」
「けっ、なんでい。何でもかんでも切っていくだけじゃねぇかよ」
「それがいいんだろうよ」
 男らの言葉に、男は上唇を嘗めて笑う。
「そう、誰であろうと何であろうと切り刻む俺に、相応しいモンを下さった」
 にたりと、光悦とした表情を浮かべ、男は両腕の筋を浮き上がらせる。
「よぉーーっく切れるぞ」
 舌なめずりをする男は、薙刀を横に振った。
 武具の扱いには慣れている。代々受け継がれた秘刀を揮う身は、刀に限らずどんな形をした物であろうと、生き物を切り結ぶモノを操れるよう、物心つく頃から学んでいた。
 力任せに斬る者の刀筋を見極め、返り打ちにすることなど造作もない。
 どんな状況下であれ。身体の隅々までに叩き込んだ記憶は、それが活かされる場面を見逃すはずもなく、無意識に動いていった。
 男の懐に飛び込む。
「な、に……!」
 柄が強かに脇腹をうったが、棒きれからの痛みなどしれている。顔色一つ変えずに、男の腰にくくりつけられた刀を抜いた。手入れの行き届いていない刃は柄から離れる時、ざらりとした感触を掌に伝えた。
 気がつくと、男達は地面に転がっていた。
「………」
 皆と同じ色彩(いろ)にまみれている。
 手に握った刀を、見る。
 ぬらぬらとした彩は刀身の煌きと相俟って、活き活きと輝いていた。
「――ぅ」
 こみあがってきたものに膝を折り、這いつくばると激しく嘔吐した。空気を求めて息をすると血生臭いものしか肺にはいらず、ますます嘔吐した。
 空が、なかった。
 吐く気力も失せて仰向けに倒れていると、真っ黒な色彩が見えて………自分は彼岸へと迷い込んだのかと思った。
 モウモウと立ち昇っていく白と黒の煙に覆われて空が、なかった。
 燃える盛る火。
 家族を、一族を―――――郷を焼いていく。
 煙がしみて、涙が滲む。
    腹、減った……………
 空虚になった心が思ったコトに、―――――涙が、溢れた。
 煙が空を覆う。
 立ち上がる焔が、すべてを焼く。
 何もかもがなくなろうとしているのに、そんなことを考えた自分に………腹が立って、腹が立って、けれど腹の虫は空腹を訴える。
 空が、真っ白と真っ黒に埋め尽くされていた。
 すべて、燃える。
 家が、家畜が、田畑が、人間が燃えていく。
「………」
 焼ける臭いと音で構成される世界で、生き物の音がした。
 首を傾けると、土の上をうねるモノが映った。
 蛇、だった。
 しゅるる……、舌をこすり合わせる時なのか、肢体をこすり合せる時なのか、蛇から発せられる音が、耳をうつ。
 ずるり、土を削って近づいてくる。
 ずるずる………自分に近づき、そして蛇は身体の上を這ってきた。 
 動けない自分はもう死んでいて、だから用心深い蛇が自分の上を這うのだろうか。
    でも………、
 腹が、減ったと強い欲望が滾っている。
 しゅるりと、蛇が自分の上に這い登る。
 自分の身体の上を蛇行して、ちろりと舌をだした顔が目に映った。
 人間では首に当たる部位が、口にあたる。かさかさに乾いた唇が微かに動いて、それを確認した。
 ちろちろ、舌をのぞかして蛇は自分を見ている。
 もう、自分が動かないものだと……………そう、宣言されているような気がした。
    ハラガ、ヘッタ―――――
 大きく開いた口が空気の塊を呑みこみながら、蛇の肉を引き千切った。
 鈍い音が、した。
 それは口内から伝わってくる咀嚼する音なのか、それとも蛇の悲鳴なのか。
 頭に浮かんだ事は胃が満たされていく感触に、消えていった。
 食するモノに対する謝恩の心は、なかった。
 郷を焼く焔のように、自分の内で渦巻く熱が欲するままに………貪った。
 ぼたり、頬辺りに落ちた蛇の尾がのたうち回り、頬や肩を打ってくる。
 指先に力を入れてそれを摘むと、口へ放り入れた。
 熱い滴りが臓腑へと収められると満足感がじわりと身体に沁みていき、そのまま不思議な心地良さの中に意識を手放した。
 どれぐらい、気を失っていたのか。
 薄く目を開ける。
 空は、やはりなかった。
 身体を動かすとざわざわと草が大きく撓った。葉の擦れる音がまるで川の流れのように鳴る。ざらららら―――まるで、何かが行進しているようだった。
 小さな啜り泣き、………微かな声が、耳に滑り込んできた。
 誰か、いる。
 歓喜に震えながら、泣き声を辿った。身体は軽やかに動き、すぐに小さな影を見つけた。
―――――コウゲツ!
 月を敬う一族の末子。女子の誕生が三回続いた後に生まれた、次男。年の近い姉達にからかわれる事が多く、よく自分に泣きついてきた………小さな弟。  
 今までにない大粒の涙を零して、声を枯らしてもなお、泣いている。抱きしめてやりたくて腕を伸ばす、が……………腕が、動かない。
 腕に力が入る感覚が、ない。
 訝しく思って自分の掌を見ようとした目が、コウゲツの目と重なる。
 弟の目が驚愕に、見開かれた。
 燃えていく郷の中で震える弟。安心させようと口角を持ち上げる。自分は、笑うことに慣れていないかった。却って怖がらせてしまうのではという心配が顔を強張らせ、妙な声がでた。
  しゅるる……
 今まで聞いた事のない声が、出た。
 コウゲツの目が、…………恐怖に染まっていった。
  きゃあああ、
 小さな身体から悲鳴を絞り出すと、コウゲツは駆け出した。
―――――コウゲツ! 
 名を、呼んだはずなのに出てきたのは空気を裂く音だった。それにますます怯えてコウゲツは我武者羅に走っていく。
 止めようと手を伸ばした、が………手の変わりに、急速に切り替った視界がコウゲツを捕まえた。
「やだぁーー」
 手を振り回して、コウゲツは走る。
「兄様、兄様!」
 コウゲツは、兄を求めながら家へと駆けていった。
――――――コウゲツ、行くな!
 声は、届かなかった。
 いつもと同じように家へと駆け込んだコウゲツは、火炎に包まれた家に迎え入れられた。
――――――コウゲツ!
 コウゲツの悲鳴は、燃え盛る焔と一緒に空へと巻き上がっていった。
 茫然と、その様子を見続けた。
 弟を呑み込んで、盛んに燃える様はまるで劫火だった。火焔に包まれた家は轟音と共に、崩れ落ちていく。
 その様子を、茫然と………見つめ続ける。
 空を空でなくす黒煙が立ち昇り、思わず掴み取ろうとした。
 母の、姉の、妹達と弟の魂の軌道が、空へ行く。カタチを変えても、家族だ。自分の、家族だ。…………天になど、やりたくなかった。
 思いっきり、手を伸ばした――――――が、天に近づいたのは、視界だった。
 自分の背丈以上のものを映す、視界。
 遠くにある郷の護りが、観える。郷と外とを結ぶ道に設けられた護りがはっきりと、見えた。
 身体の感覚と、視界がそぐわない。
 言いようの無い違和感に囚われ、落ち着きなく周囲を見渡すと、光るものが見えた。
 汚れた空から落ちてくる、微かな光を反射させる池だった。咄嗟に、そこへ駆け寄る。
 早鐘を打つ心の臓が落ち着くのを待って……………池を覗いた。
 きらきらと、水の上を光が走って水鏡の構成を乱していく。焦れる心を必死に宥め、水鏡が出来るのを待った。少しずつ、少しずつ。水鏡が形を作り、映るものを瞳に届ける。
 水に映るのは、大きな蛇だった。
 見たこともない大きさに目を背けると、水鏡の蛇も姿態をくねらせた。
 ざらり、何かが擦れあう音が、自分の身体から発せられた。ざらり、ざわり、白鱗が擦れて小さな光と共に音が零れた。
 目を見張り、息を呑む――――その仕種すら最早人間のものではない。
 息を吐くと、ひゅううーーと、風が生まれた。人と同じようにしたのだが、今の姿では大きな物事となってしまう。
 郷が燃えた日、自分も自分ではなくなっていた。

「ヒゲツ、なの………」
 自分を、自分だったものの名を唱えるが聞こえ、首をもたげて顔を近づけた。自分を呼んだ子供は怖がったが、逃げ出さなかった。
 ひんやりとした空気に怯みそうになる身体を抑えつけて、コウはヒゲツと向き合う。
 よく見ると、純白と思えた鱗は模様が入っていた。それは脈打つように透明な輝きを生んでいて――――――美しかった。
 じぃっと見つめていると、ヒゲツの眼から放たれる光が凝縮されていき、一粒零れ落ちてきた。
 咄嗟に伸ばした掌に、それは納まる。
 水の感触から徐々に硬質な触感に変わっていき、そして片手に収まる大きさの玉が、コウの手に現われた。
―――――持っていくといい
 音が、コウへと流れ込んでくる。
 しゅるり、ヒゲツだったモノが裂けた舌で空気を打つ。
―――――お前は、拠り所をなくして魑魅魍魎が溢れる世へと往くのだ
 自分を見つめる目が、優しげに細められたと………コウは思った。
―――――せめてもの手向けだ
 キィ…ンと、玉が輝きを放ち、幾多数多の色彩を空気の中に溶かしていく。その輝きを見て、コウは、一つの予感に声を震わせた。
「貴方は……、これからどこへいくのですか……………」
 白蛇は、首辺りを捻じった。
―――――さて………もう、ヒトのカタチはとれそうにないからな
 コウより何倍も高い位置にある視点で遠くを眺める。
―――――眠ると、するか………湖にでも
 ちろり、白蛇は舌を出した。
「え…、でも………」
 村の惨状が、コウの頭をよぎる。
 村の者達の心は乱れ、司祭は己を失い、村長はもういない。湖の近くにいる人間は乱心しているのだ。近づくのはよくないと、思った。
―――――もうすぐ、静かになるだろう
 コウの思いを読み取ったように、音が届く。
―――――この湖は、美しい
 凛と、まるで歌うように奏でられる。
―――――眠りの床に充分だ
 耳にした言葉に息をするのを、忘れた。
「うつく、しい………?」
 悄然と呟くコウに、言の葉が響いた。
―――――あぁ、美しい
「………」
 涙が、落ちた。
 コウは、湖を見た。
 光と闇で不思議な彩を作り上げた空をそのまま映す湖に、光の橋が架かりはじめる。
 夜明けを迎えた世界は、美しかった。
 涙が、溢れた。
 大切な家族を奪われた。 
 罵られ、害され、そして否定された。
 必要ないから――――その理由(それ)が、フィユーをカヤを自分を、…………否定した。
    でも………
 美しいと、そう誉めてくれたヒゲツの言葉が胸に広がって、涙が零れる。
 幾筋もの涙が零れ落ちていく。
 コウは湖を望んだ。
 涙に、景色が滲む。乱暴に拭ってもう一度、生まれたばかりの光に輝く湖を見た。それはほのかに赤かった。
 赤く染まった世界に消えていった、父と母。
    でも、よくカヤと………ココから赤い輝きを見ていた
 自分は、太陽と空との加減で変わっていくこの湖を見るのが好きだった。一日の最後に見る湖は真っ赤な中に黄金、枯れ葉、魚の鱗、鳥の羽、新芽の輝き―――たくさんの色彩が混在していて、好きだった。
    でも………、
 カヤは、赤い色彩に染まった光景をどう思ったんだろう。何も言わず、煌く光景を見ていた横顔を思い浮かべる。
 聞いてみたいと、思った。
 カヤに会って、聞いてみたいと――――――コウは、涙を流す。
 自分は、ココが好きだなのだ。
 姉と二人だけの暮らしを心配してくれるラシュンおばさん、気難しいオリじい様、怒鳴ることが多い豪快な男達、おしゃべり好きな女達。からかって馬鹿にして、でもフィユーを頼る仲間。
 遠い遠い、もうおぼろげな光景となってしまった日が観える。
 父の手をとり、母の手をひく姉と一緒に参加した事始の祭り。朗々と祈りを詠う司祭様、村の人達を労う村長の姿…………火を囲って、村全員で踊った。
 祭りは盛大に、日常は愉快に。
 歌と笑いが絶えなかった、楽しくて優しい村。
 好きだったのだ。
 皆が、それぞれ何かしら関わりを持って、互いの時間を分け合って、暮らしていたのに――――――いつ、その繋がりが歪んでしまったのだろう。
 土を抉る音に、顔を上げると、蜂蜜のようにとろける光を浮かべる目が自分を見て、そして、ゆっくりと………外されていった。
「………」
 先程のように音が響いてくることはなかったけれど、別れを告げられたと、感じた。
 進む方向へと向けられた頭は、もうコウへと向けられる事はなく、真っ直ぐ湖を見ていた。
「………」
 白銀に光る肢体が、湖の煌きの中に同化していく。その姿が見えなくなった頃、太陽が山々の制止を振り切って顔をだしはじめた。
 村を囲む山の中で天に一番近いショウテイが、空に現れた光を受けて一瞬だけ雲を散らして相貌を見せた。
 一日が、始まる。
 もう、見ることが叶わなくなるだろうこの光景を、まばたきを惜しんでコウは見つめ―――――太陽が空へと姿を現すと、すべてのことに背を向けて歩き始める。
 一歩一歩、確かめるように歩き、自分の行く先を定めると、踏みしめるよう歩く。杜を通って、リンの中へと、進む。
 一度も振り返らずに、コウは………木々の作り出す蒼い薄闇の中へと進んで行った。










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