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「二、鬼を恐れる者 後編」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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二、鬼を恐れる者 後編


 村では耳にしない言葉。そもそも太陽が空にあるときを分ける手立ては自分の家にしかないコトだった。刻を表す言葉をだすと、「相変わらずヘンなことを言うな」と仲間に笑われた。
「おかしくない」
 ヒゲツが、何を言ったのかわからなかった。きょとりと、コウはヒゲツを見上げて、何度もまたたいた。
 ヒゲツは、目を細める。何かを懐かしんでいるような眼差し。それは自分へと向いていたが、自分を見ているようには思えずに、居心地の悪さを感じてコウは身じろいだ。
「我の一族が………そう、言い表した」
「え、何……?」
 ヒゲツの言葉を聞き逃してしまい、咄嗟にコウはヒゲツと目を合わせる。ヒゲツはゆっくりとコウに言う。
「我の一族が、天道の知らせと言った」
「一族………」
「そうだ」
 ヒゲツの目に、コウが映る。
 深く………内面までをも見られているような視線に、コウは息を呑み「オレの言葉……、おかしい?」と聞いた。
「いいや、おかしくない」
「……」
 自分の言葉を肯定されたのは、初めてだった。瞠目するコウに、ヒゲツは語った。
「光の刻を伝える構造の言い表しは様々だ。一族は、天道の知らせと言っていた」
 ふっと、瞳に浮んだ翳りを隠すように俯き、ヒゲツは小さく言う。
「まさか、このような形で巡り合うとはな………」
「え……」
「この地で歿した、一族の―――」
 抑揚のない口調で話し始めたヒゲツ。首を傾げたコウに気を留めることなく、言葉を続ける。ヒゲツは天窓から空を見て、言った。
「他の地でも幾多の者達が消えていったが…………ココを最後に、我が一族は絶えた」
「………」
 コウは、自分の内だけに響く言葉を話すヒゲツを眺めていたが、言葉の一つに心をざわめかせるモノが宿っていたのを感じ、無意識に自身を掻き抱く。肌に絡みつく不安を誤魔化すように、ヒゲツに尋ねる。
「………一族って、何?」
 ヒゲツがコウへ目を向け、二人の瞳が重なる。
 向けられた視線を何も意識せず受け止め、コウは動けなくなった。
「……っ」
 息が、詰まる。
 自分を見てくる目に、その奥底で光る強さに……………訳もわからず、気が動転する。息苦しさを覚えるようになった時、ヒゲツがわずかに目を逸らして、口を開いた。
「同じ血を分け合う者達――――わかり易く言えば、大きな家族だ」
「か、ぞく……」
「そう言っても、いいだろう。一つの血脈に添ってまとまっているのだから」
「そっか、……大きな家族、か」
 一人になってしまった自分とはあまりにも違うものだと、羨望を滲ませた声音で呟くと、「もう、いないがな」と淡々とした言葉が聞こえた。
 何を言ったのか理解できず、小首を傾げるコウにヒゲツは再度言った。
「もう、誰もいない…………皆、死んだ」
 何度も瞼を下ろして視界を鮮明にしようと、ヒゲツの涼やかな顔(かんばせ)は変わることなく、小さな笑みすら浮んでいた。
「本当に………、本当にいない、の?」
 ヒゲツの持つ事実に震えながらコウが尋ねると、ヒゲツは微かに首を動かし言った。
「あぁ、いない」
 天窓から零れ落ちる光がヒゲツの顔を照らし、浮かび上がらせる。静かに、ヒゲツは唇を動かして、言う。
「我の帰るトコロは、ない」
 太陽が一番強く輝き、降り注いでいる暖かい刻に、それはとても冷たいモノをもたらした。
 ひくり、コウの喉が鳴る。
「だから、ココにいるの………?」
 木々のざわめきしかない、リンに――――――いるしか、ないのだろうか。
 鬼のいる、忌むべき場所という恐ろしさよりも、独りで……絶え間なく音が鳴り、闇が動くトコロにいるのかと、コウは震えた。
「いや……少し、違う」
 ヒゲツは脇に置いた小刀を手にとって、光を弾かせた。
 室内を、光が走っていく。
「戦に出た者達を追っている」
 何度も刃の角度を変えて、刃と光の交わりから走る筋を追いながらポツリと、ヒゲツは言う。
「いく、さ………って、何?」
 初めて聞いた言葉。一つ一つの音を聞いた通りに綴ってヒゲツに尋ねる。
「………人と人のいがみあいだ」
「ああ、喧嘩かァ」
「そうとも、言うな」
 小刀を床に置いて、鋭い切っ先に弾かれる光を目に映してヒゲツは答えともいえない答えを返した。初めて得たものに感心するコウにではなく、自分自身に確認するようヒゲツは続ける。
「帰るトコロが無い故、ココにいるのも確かだが………まだ一族は、いる」
 床に転がる光の模様を辿る。
「探したいのだよ」
 光が煌き、彩を持つ様を虚ろに映しながら、ヒゲツは話す。
「我は、まだ成人していなかったから行けずにいた。だが、成人した者は皆戦へと赴いていた」
 ヒゲツの言葉にコウが反応をする。
 大人と聞いて、村の大人達の姿が思い浮かんだ。一番最後に見た表情が、胸を突く。
「………」
 カヤを探す気のない、寧ろその行為を疎んだ村の大人達。
    ヒゲツも、たった一人で探しているのだろうか………
 聞いてみたいと、強い衝動が生まれ、普段の自分にはない積極さで相手の領域に踏み込んでいった。
「両親を、探しているの?」
 村人とは違う状況に身を置く自分は、あまり話をしない。相手の生活に関わることは進んで口にはしなかった。けれどその考えは、今……頭に無い。
 ただ、聞きたかった。
「いや……」
 ゆるりとヒゲツが首を動かすと、項あたりで一つにまとめられた長い髪がかさりと音をたてた。
「戦に赴くのは、一人として数えられるようになった男だけだ。女と子供は、足を踏み入れぬ」
「じゃあ、お父さんを探しているの?」
「父はな、ここからそう遠くない地で没したらしい」
「没した……?」
 自分の言った言葉を繰り返すコウに、ヒゲツは困ったように笑い「何と言えば、わかるかな」しばらく、考えていた。
「死を、どう言い表せばいいものか……………」
 ふ、と乾いた息を吐き出して、ヒゲツは光を追うのを止め、コウへと視線を向けた。
「………」
 自分を見上げる目は、此の世の理にくすんでない。ひどく澄んで、真っ直ぐで………知らず、眉間に力がはいる。
 変わらなくある事実に目を向けたことのない、無垢な瞳。自分の言葉をどう受け止めるのかと――――――ヒゲツは、引き結んでいた口を開く。
「いなくなったということだ」
「………!」
 コウの喉がひゅるりと鳴った。
「あ、……それは」
 不安定に揺れる光を見据え、ヒゲツは答えた。
「もう会えない。二度と…………それが、死」
  ひゅるる………
 音に成り損ねた風が、コウの喉から流れ出た。
 声がでてこないばかりが、自分がどうやって息をしていたのかわからなくなって、コウは喉を押さえた。なかなか身体の中にはいってこない空気が、暴れることなく行き来するようになると、コウは身体を起こして、ヒゲツを………見た。
「…………」
 静かに、瞳に灯る光すら揺らさずに物事を見る目を見て、指先が何度も床をかいた。自分の意思とは無関係に動く手を強く握り、胸の前で重ね合わせると、コウはヒゲツと目を合わせ、口を開いた。
「じゃあ……誰を、探しているの?」
「―――」
 微かに、ヒゲツの目元が動き………眼光が細くなった。
「………」
 天窓から注がれてくる日差しを受けて天道の知らせが刻を描く、太陽が傾き始めたことを伝える。
 身動ぎ一つせず、ヒゲツと目を合わし続ける。戸惑いも恐れもなくなり、ただ自分に向けられる意思と向き合うことができるようになった頃、ヒゲツの口が動いた。
「ぅを……」
 口から現れた言葉が、ひどくどもっていたのでヒゲツは唇を引き締めて、呼吸を整えた。
 もう一度、今度は意識して口を開いた。
「祖父をな、見つけたいのだ」
 コウは、まばたきしてからヒゲツの言った言葉を繰り返した。
「祖父?」
「父の父だ」
「おじじ様………」
 身近にはいないので実感が持てず、コウは軽く音にしてみた。けれど、すぐ空気に掻き消されるほど弱い言葉で、探求する心には応えてくれない。生まれてからある絆が薄い自分には、空虚な響きでしかなかった。
「どんな人なの?」
「そうだな。顔の造形は……よく覚えていないのだがな……………昔の語りを聞かせてくれた声と―――」
 ヒゲツは自分の手を見て、穏やかに言う。
「よく、頭を撫でてくれた大きな手は………覚えている」
 ヒゲツは遠くを見て、柔らかく笑った。
 過ぎ去った時間を、懐かしむその表情を理解することができず、コウは居心地の悪さを感じて身じろいだ。
「姫君の名がわからなくてな………」
「え?」
 また、初めて聞く言葉。それが何を示しているのか理解できず、小さく唸っていると「昔語りの人物だ」とヒゲツが言った。
「豊かな家に生まれ恵まれた日々を経て育ったが、星を見ては息を吐き、鳥を見ては涙し、常に外の世界へと旅立つことを夢見た女子の話だ」
「………」
 村でも、語りがある。けれど、それはすべて鬼に関わる語りで、恐ろしさしかない話を聴いた小さな子供らは暗闇に染まる刻になると家の中ですら動くことを怖がる。
「いよいよ姫君の行く末が明かされるという時に、話の途中で寝てしまい、起きたときには祖父は出立していた」
 戦へと行ってしまった、と。ヒゲツは顔を俯かせ、顔を影の中に隠した。
「二度と会う事はなかった。 だから、天の世界から落ちた姫がどうなったか、どのような音の響きを持つ名か………もう、わからない」
 ヒゲツの声が、響く。
「いつものように帰ってきたら話を聞こうと、丘に登って御光の印が近づいてくるのを待っていたんだが……………、いつまでたってもこなかった」
 ヒゲツの声が途切れ、―――沈黙が生まれた。
  ふぅ、
 ヒゲツが、顔をあげて降り注ぐ光に顔を当てた。肌の表面を滑る光の心地よさに、もう一度息を吐きだし、再び口を開ける。
「郷へと来たのは、見たことのない印を掲げた者達だった」
 そこで、一度ヒゲツは言葉を切って………落ち着かない視線を炉の中央で揺らめく炎へと向けた。
 どこか怒りを感じるような、でも淋しそうな印象を受ける………どうにも言い表せない顔をするヒゲツの横顔を見ていると、ヒゲツの唇が動いて「郷を、焼かれてな――――」という言葉を聞いた。
「………」
 言われた言葉の意味が、わからなかった。まばたきを忘れて呆然とヒゲツを眺めていると、自分へ向き直り、視線に応えるようにもう一度言った。
「郷を焼かれたのだ。 もう、無い」
 言葉が、広がっていく。その音に深く、重い翳りがあることを感じ取ったコウは息を呑んだ。
 もう、戻れるトコロがない―――――その事実に何を言えばいいかわからず、口が開いては閉じていたけれど、……………戸惑いと驚愕が薄れると、抑えきれない感情が蠢いて、言葉が飛び出す。
「みんな………、すべてを奪われて、アナタはどーするの?」
「ん?」
 コウの声はちゃんとした音になっていなくて、しゅんしゅんと鳴き始めた湯沸かし器の音に消されていった。
 ヒゲツは炉に身体をむけ、湯気を立ち上る器から一すくい湯を汲んだ。それを真新しい碗に入れる。木の香りの他に何か…、軟らかな香りがした。
 碗は、コウの前に置かれる。
「飲むといい」
 ヒゲツの言葉にコウは反応せず、ゆらりゆらり……立ちあがってはすぐに霧散する湯気をじぃっと見つめる。
「傷めた喉を癒し、発汗を促す薬湯だ。熱のこもったままの身体で過ごすのは辛いぞ」
 ヒゲツの言葉に導かれるように、椀の縁をなぞり両手で包み込むと、コウは一気に飲み干した。
「…っあ!」
 薬湯が喉を通り過ぎると、焼けるような刺激が襲ってきて、息を詰まらせる。背中を丸めて咳き込んでいると、ヒゲツの手がコウの背を摩った。
「………」
 温かな感触に、腹がたった。
 痙攣する喉を抑え付け、勢いよく身体を起こした。
「平気か?」
 穏やかに尋ねてくる声に、鳥肌がたつ。見ず知らずの自分に己のことを語り、優しくする……………目の前の男に、怒りがこみ上げてくる。
 再び伸びてくる手を、コウは思いっきり払いのけた。
  ビシ!
 打たれた方も打ちつけた方も、痛みと驚愕があった。
「どうした」
 ヒゲツは落ち着いた声音で、顔を背けるコウに問う。
「……ぉし、………」
 大きく息を吸い、吐き出すと、言葉も一緒にでてきた。少しでも心の音が逃げ出すと、もう止まらなかった。
「どうし、て………そんな顔して、そんな………………」
 うまくいかない息継ぎに、コウは自分の喉に爪をたてた。
 今まで作り出したことのない表情(かお)を相手にむけている――――引き攣る頬と必要以上に力が入った眦からそう感じたが、やめられなかった。そんな、向き合う相手を不快に思わせるだけのことをすれば、爪弾きにあう。そんなことしたら、生きていけない。自分達は村から離れたところに居を構える血脈。一度、見放されたらもう二度と交われない。だから、相手の心を損ねることはしないよういつもいつも気をつけていた。けれど――――、
    ココは、村じゃ………ない
 その事実が、コウを縛り付けていたモノを絶った。長い時間、無意識に作り上げていた束縛が解けると………感情(ココロ)が、堰をきって暴れた。
「なんでぇ……、笑うんだよ!」
 怒鳴ったことに、一番驚いたのはコウ自身だった。ヒゲツは、わずかに眉を動かしただけ。それだけだった。それを見て自分の変貌に戸惑ったコウは、我を忘れた。
    どうし、て……………、
 荒れ狂う感情に、身体が勝手に動いていくのを、止められなかった。コウはヒゲツを睨んだ。
 笑っていることが―――、穏やかな光を持っていることが信じられなかった。
 苛立ち、手をあげた自分に怒らず………そんなことよりも、もっともっと――――――見知らぬ自分に、己の過去を打ち明けた、そのことが気持ちをざわつかせた。信じられなくて、気味悪くて、そして何よりも怖ろしかった。
「アナタは、どうするの………」
「何?」
「どうして、何も……しない、の?」
 声を荒げる自分を、ヒゲツは静かに見る。
「どうして………、どうしてっ」
 息ができなくなる。けれど、言葉は苦しさを押し退けて次々に飛び出してくる。
「帰る場所を、無くしたんでしょ………奪われたんでしょ?」
「そうだな」
 自分の口から語られる現実に少しも揺れずに答えたヒゲツを、コウは睨みつけた。
「仇を、取らないの………」
 どろりとした響きが、自分の口から発せられた。その響きが自分の耳に滑り込むと、あまりにも禍々しい響きで………鳥肌が、たった。
    今の、オレが―――言ったのか?
 手を唇に当てると、小刻みに震えていた。震えているのは、唇だけではなかった。全身が震えて、止まらない。自分の言葉に、思いに……………心の底にあったモノに震える。自分の心に脅えていると、ヒゲツの声が聞こえて、コウは自分の内に有る闇から目を外すことができた。
「あぁ、考えていなかったな」
「え……」
 定まらなかった視点をヒゲツへと向けると、一切の表情を削ぎ落とした容貌が映った。
「……ッ」
 ビクリと、身体が大きく跳ねた。何も表さない顔が、何よりも雄弁にヒゲツの心を語っていると、背筋が凍りついた。
「郷を、焼かれた時のことは…………実は、よく覚えていない」
「どう、して………だって、だって」
 目を閉じて自分を語るヒゲツに、言葉を詰まらせながらコウは挑んだ。
「ヒドイこと……、とってもヒドイことを、されたのに」
「……」
「そんなことって! 無くしだんよっ、自分の―――」
「あまりにもな………」
 荒いコウの声よりヒゲツの声は小さいはずだが、二つの声が重なりあうとヒゲツの声が残り、どこまでも響いていく。耳の残る音に気づいて、コウの声は次第にかすれていった。
 興奮するコウを宥めるように、ヒゲツは語った。
「あまりにも、現実離れしていることが起こって…………よく、わからなかった」
 ふ、と息を吐いた時、ヒゲツの肩もすとりと落ちた。自分に呆れているように、見える。それを隠しもせず、ヒゲツはコウの問いに答えていった。
「正直、今でもよくわからん」
「……」
 目の前の男が、笑う。
 己の身の上を、笑って言う………。抑えきれない心に支配されたコウは、侮蔑の眼差しを隠そうとせずにヒゲツへぶつけた。けれど、注がれる視線にヒゲツは気色ばむことなく、耳に心地好い声音で言う。
「やっと、自分の身に起こった事が理解できるようになっても、感情が動かなくてな」
 小さく零れた笑いは、笑ったカタチになっていたけれど、ただそれ以外に表現できなかっただけで、………歪められたココロが、ヒゲツの顔に陰を残す。
 楽しいときに笑い、嬉しいときには泣き、怒りを感じるときは叫ぶ。素直に出てくる感情しか知らないコウは、ヒゲツをちゃんと見ることができなかった。
「だから……」
 ヒゲツの目が自分を見ると、コウの身体は無意識に退いた。
 ヒゲツの口端が緩く曲線を描き、そして言う。
「だから、我のことは参考にできないし、ましてやお前の感情を背負い込んでやることはできない」
「……っ」
 ひくり、コウの喉が鳴る。
「一緒に、悲しんでくれる者が欲しかったんだろう?」
 凪いだ水面のような瞳を向けられ、咄嗟にコウは顔を背けた。
「……ひど、い」
 搾り出された声に、ヒゲツは少し身体を揺らして言った。
「そうか? 違っているのか」
「………!」
 コウは床に爪をたてた。
 ヒゲツの言っていることは、正しいから余計に怒りが湧き起こる。
「なんで、なんで、………なんでェ!」
 コウは、ヒゲツに詰め寄り胸板を叩いた。力を込めて叩く。思いっきり叩いた。けれど、コウの拳はヒゲツの胸に当たるとずるり…滑って床に落ちていった。そして、力なくあがると再びヒゲツの胸を打つ。
「ひ…っく、……う、うぅ」
 嗚咽が漏れないよう歯を噛み締めるが、苦しさは増すばかり。堪らずに、コウは蹲った。
 リンの薄暗さに呑み込まれた感覚が戻ってくる。絶望感に襲われた現実が、再び自分に喰らいついてきたのを感じる。
    カヤ……、
 一つの名が、胸を打つ。
    カヤ、カヤ!
 会いたいと、強く強くコウは望んだ。
 共に生きていくことを誓った大切な片割れ。村から忘れられてもおかしくない状況にいた自分らを、励まし、支えあい、今の今まで生きてきた。なのに――――――。
 もう、いない。
 会えない、のだ。
 誤魔化しようのない現実が、コウに圧し掛かり、喰らいつく。
    苦しい……っ
 ヒゲツの言ったことは、正しい。コウは、自分を嘲笑った。
    そうだ、オレ―――
 一緒に苦しんでくれる人が欲しかったのだと、コウはさらに口角を吊り上げる。
 自分が負った傷みを、自分の背負いこむ苦痛を、自分がこれから受け入れる現実を……………一緒に悲しんでくれる人が、欲しかったのだ。
「……は、ァあ………」
 あまりにもひどい自分の姿に、笑えた。
 このまま大笑いして、すべてを空虚な笑いの中に閉じ込めてしまおうと大きく息を吸い込んだコウの背を、温もりが触れた。
「………!」
 強張った身体を、ゆっくり撫でる手。
 ゆっくり、伝わってくる温かさ。
 少しずつ、緊張が解けていった。呼吸も、楽になる。でも、顔は上げられない。
 コウは、吐き出す息に言葉を乗せた。
「オレ……」
 コウの心境を現す、弱々しい声。
「オレ、ここにいても………いい、か?」
 ヒゲツは、背中をポンと叩いた。
「戻らなくて、いいのか?」
「いい」
 コウは、即答する。
「カヤは、いない」
 自分を撫でてくれる温もりに、少し力を抜いてその事実を口にする。
「もともとオレ達、村に馴染んでいなかった」
 さ迷う視点が床に落ちる影がを見る。真っ黒な彩に見えるモノ。それはカヤがいなくなったことを告げた時の、村人の表情(かお)。強ばる顔を隠し、もつれる舌を動かして、言葉を飾った。カヤのことを心配していると、装った人達。皆、同じ表情をしていた。
 コウの目に、カヤを探すことに難色を示した村人が映る。
「いなくなくても同じだ…………」
 自分の言葉に傷つくコウを見て、ヒゲツは答えた。
「そうか、………ならいいここにいろ」
 顔を跳ね上げ、息を殺して自分を見るコウと視線を交わし、ヒゲツは「ただし―――」と、言葉を続ける。
「一度、村に帰るのが条件だ」
「え、………な、何で」
「嫌か?」
「嫌、だよ………」
「何故?」
「だって、だからオレ、もういないものだし………」
「どうしてそう思う」
「あ、それは……リンへいったから、だから………村で禁じられていたのに、オレ………リンに入った」
「それが嫌だと思う理由か?」
「そういう、わけじゃあ……ない、けど…………」
「そうか、ならいくといい」
「………うん」
 消え入るような声でなんとかヒゲツの提案に頷くが、まだ戻る勇気はなかった。
「でも、もう少し―――」
 途中で消えたコウの言葉を、ヒゲツが続けた。
「体調が整うまで、ゆっくりするといい」
「……あ、」
 コウが、ヒゲツを見る。
「送ろう」
「あ、その………」
 喉に絡まる言葉を上手く出せないでいるコウに、ヒゲツは、眼差しを和らげた。
「ゆっくり、休め」
 笑みを浮かべたヒゲツを見て、すとりと力が抜けた。
 背中をさすった、大きな掌。
 穏やかな笑み。
 温もりを感じさせてくれる存在(ヒト)――――――カヤとは、また違う。まるで………親のようだった。
    ヒゲツは、他人だ………
 それもリンの中で会った。知っていることは名と、本人が語った過去だけ。
    でも……、
 自分に笑いかけてくれるヒトがいることを知って、コウは短く息を吐くと、そのまま眠りの淵に浸っていった。







「はーー、何でコウはこんな不便な処に住んでるんだ?」
「昔からだから、知らんよ」
 億劫に答えた者は問い掛けた者に負けないほどに、浮かない顔つきだった。
「おい……」
 鋭く耳を突いた声。不承不承足を進めていた者達は、その声で足を止める。声の主へと視線を向けると鋭い視線に射られた。
「いい加減にしろよ、お前ら」
「な、なんだよ………トギシュ」
「わかんねーのかよ」
 鼻筋に皺を寄せて、トギシュはシャウパ、アラ、ソングと、順に睨んでいった。
「コウに、会いに行くんだぞ。 俺らは、コウに会いに行くとそう決めたんだ―――――なのに、どうしてそう厭そうなんだよっ」
「やっ………そんな、イヤだなんて、なぁ」
「そうだぜ、なぁ!」
「そ、そうそう。厭なわけないだろう」
 三人は一斉に誤解だと主張したが、拭いきれていない鬱は言葉を濁らせトギシュの神経を逆撫でた。
「嘘吐くな」
 トギシュに一喝されて、竦み上がりながらも三人は自分の思いを口にしていく。
「本当だよ!」
「そう、コウに会いたいさっ 会いたいんだけれどさぁ…………」
 歯切れの悪いアラに、トギシュが詰め寄る。
「ただ………」
「何だよ」
「あ、その―――」
 一つ、息を呑み込んでからアラは言った。
「コウに会うのがイヤじゃ、ないんだよ………うん、そう。イヤじゃない」
 アラは周囲を見渡した。
 ごくり、呑み込む空気の塊が喉を刺激し、眉間に皺を作る。
「厭じゃないんだけどぉ………こんな気味悪い道を通らなきゃいけないのは、ちょっと」
 三人が同時に頷き合う姿を見て、トギシュは怒鳴った。
「ウジウジすんなっ、気持ちワリぃ!」
 トギシュのがなりる声が、杜の中へ響き渡っていく。三人は異口同音に短い悲鳴をあげた。
「や、やめろよぉーー」
「トギシュ、んな大声だすなよっ」
 シャウパ、ソングはいきりたつトギシュを押さえ、アラは押さえる二人に罵声を浴びせようとしたトギシュの口を封じた。
「頼む! 頼むよ、トギシュ」
 自分の手に歯を立てようとするトギシュに、アラは懇願した。
「ココは村じゃない。すぐ脇には杜があるんだ!繁る木々を揺さぶることは、やめてくれ。頼むから、騒がんでくれっ」
「ァがあ……」
「杜のことは、トギシュも知ってるんだろ? 鎮められた者達が起きてしまうから!」
「頼むから騒がんでくれ」
「トギシュ、頼むよぉ………」
 三人の懇願に、トギシュは身体の動きを止めた。目の鋭さは消えていなかったが、放すよう促すトギシュにシャウパ、アラは手を放した。離すのが遅れたソングはトギシュに頭をはたかれた。
 トギシュは、荒々しい足取りで、また先へ進んでいく。
 三人は、顔を見合わせ、落ち着き無く辺りを見渡した。
「トギシュ」
 足を進めるにはまだ気持ちが落ち着かず、シャウパはトギシュに声をかける。
「トギシュ。オメーは平気なのかぁ?」
「んなことより、コウの奴だよ!」
 トギシュは、背を向けたまま言う。
「アイツ、ずっと顔を見せねぇんだ」
「そりゃあな………」
「うん、そうだなぁ」
「たった一人の家のモンが、なぁ……………」
 口籠もる三人の様相は陰鬱で、その暗い空気はトギシュの気を逆立てたが、三人の思うことは自分の中にもあったので、舌打ちしただけだった。
「一人になっただけでも辛いのに、カヤは………な」
「そう、だよなァ」
 頷き合う三人の頭をトギシュは殴った。
「うわぁ!」
「いてぇよ、トギシュっ」
「怒らんでくれってば」
 陰湿な空気を作り出す三人を、トギシュは一喝する。
「うるせェよっ」
 その声の大きさに、三人は竦みあがる。
「コウは大切な仲間だろ、オメーら心配じゃないのかよ!」
 詰め寄るトギシュから逃れるように三人は後ろに下がった。
「心配だよォ、当たり前だろ」
「そうだよ、仲間だから。でも、な………」
「おい、……あれ」
 アラが、皆の話を妨げた。
「んだよ、アラ」
 不快さに眉を顰めるトギシュに顔色を変えず、アラは一点を指差した。
 皆、そちらを見た。
 杜の中を人が歩いていた。
 皆の、息を呑み込む音が重なる。リンとは違い、踏み入ることを禁忌されてはいない。けれど、杜には鎮められた者達がいたのだ。
「あれって、―――――フィユーか?」
「フィユー、だよな………」
 のそりのそりと動く大きな身体。村に同じ体躯の者はいない、見間違えるはずはなかった。
「そうだ。フィユーだ」
「アイツ、何抱えてるんだ?」
 目を細めて、フィユーが持つものと見定めようとして…………トギシュは息を呑んだ。
「あれは………」
 ソングの、擦れた声が耳につく。
 その場にいた者達の呼吸が、一瞬途絶えた。
 誰も、何も言わない。
 大きな背中が、杜の木蔭に隠れ、消えていく。
 立ち竦む四つの影。
 互いに顔を見合わせて、無言で互いの思いを了承しあった。
 最初に、アラが足を踏み出した。それに続くように他の者達も続く。
 音がでないよう、一歩一歩注意して歩き、杜の中へと入っていく。
 奇妙な沈黙が四人を繋ぎ、導く。
 杜は〝鎮められた者達〟が眠る処。血は、其の者達の眠りを妨げるばかりか、狂った目覚めを与えてしまう。
 フィユーが、大事そうに腕に抱えていたもの。
 トギシュはそれから滴り落ちた痕跡を地面に見つけた。
 赤い斑点が、ぽつりぽつりと落ちている。
 鎮められた者達を揺り起こしてしまう、血。
「…………」
 四人はまた顔を見合わせ、フィユーの後を追っていった。
 そこに懼れはなかった。
 何かに憑かれたように覚束無い足取りで、杜の中へと入っていった。













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