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「四、泥沼の中の人間 後編」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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四、泥沼の中の人間 後編

 湿った土は掘りやすかったが、人間一人を埋めるまで掘り続けるのはコウだけでは重労働だった。ざくりざくり―――土を抉る音がリンの深い闇と木の葉の合間から見え隠れする夜空に吸い込まれていく。
  ざくり、ざくり、
 穴を、掘る。
  ざりざり、ざりざり、
 闇の気配に世界が息を潜めている中、穴を掘る。
 深く深く掘る。
 湖からの恵みで生きる村人は、最期に湖から受けた恩恵を返す。火で清め、白い身となった者を、湖へ還す。水の流れを見て、深く深く白い身を沈めるのだ。
 湖ではないけれど、フィユーが安心して眠れるようにしたかった。深く深く、眠りの地に着けるように深く掘って、休ませてあげたかった。
  ざくざくざくざく、
 湿った空気に撫でられる。生温かな土の匂いが焼けた肉の臭いと混ざって―――――消えようとした記憶を呼び起こす。甦った記憶は、無心に掘り続けているコウの耳元で囁いてくる。

『フィユーがねぇ………鬼の使いを、死んでいたんだけどね。それを丁寧に見送ってやった姿を、若いモンが見たんだよ』

 鬼の使いと呼ばれる生き物がいる。湖や村を囲う木々がさらに深くなる林(リン)を駆ける生き物。人間の住む区域を恐れもせず入って来て、己の食を満たす獣。遠く離れたリンからリンへと渡り歩くモノ。それは鬼が自分の好む人間を探す為に放っているのだと、村人は謂う。
 その謂われは村では当たり前のことで、鬼の使いが村に迷い込むと男らが一斉に叩き殺し、呪布で身を固めた男達が護りの道を通って村境の老木に吊るした。
 カヤが可愛がっていた、テンコという獣がいた。親から逸れ、小さく丸まって鼻を鳴らしていたのを拾って育てていた。小さな時は気にしなかったけれど、成長していくテンコが鬼の使いの姿形にそっくりだと判って捨てるよう、カヤに言った。でもカヤは気にしていなかった。とても、可愛がった。自分で結った紐を首に巻きつけ野生のものと区別したけれど、縛りつけることはしなかった。テンコの行きたいところに行かせていた。家の軒先で寝そべっている時もあれば、杜の中で羽虫を追いかけていることもあった。
 名前はフィユーがつけたと思ったけど、カヤがつけたのだとフィユーが教えくれた。フィユーは、カヤの伝えたいことが、理解できるようになったのだと……………その時、無性に淋しさを感じたのをよく覚えている。
    フィユーはテンコを見送っただけなのに…………
 湖には還せないから、今の自分のように眠らせたのだろう。けれど、それは村にとって忌むべき行為だったのだ。
 村人がフィユーに向けた悪意も甦り、コウに言ってくる。フィユーは、鬼と疎まれたのだと…………。
    フィユーは、そんなんじゃあない
 鬼とか迷子とか、ただ村で使われていた忌み言葉をフィユーにぶつけて、行き場を失った感情の渦に、皆が溺れた。
    フィユーは、探していただけなのに………
 カヤを、探したかっただけだ。心配していただけだ。
    悲しくて悲しくて、じっとしてられなかっただけなのに―――――
 けれど、それすらも村では疎まれるのか。
 網に包んだフィユーを赤子のように身を丸め、丁寧に土を被せていく。掘り出した土を寄せ集めると大きな土盛ができた。このままだと、ここにフィユーがいることがわからなくなると思い、コウは辺りを見渡し、目に付いた枝を拾って、土盛の横に突き立てた。深く深くさしていくと突然、手が滑った。
 枝から手を離してそっと開くと、土にまみれた掌の表面が、ずるりと落ちた。
「………」
 気にせずに、作業を続ける。
 ずぶり、深く差し込み、先端に帯締めを巻きつけた。
 燃え残ったフィユーの物。
 亡くなったお母さんの物だと、話してくれた。
「大切な、形見(かたみ)だったよね」
 風で飛ばされることのないよう、しっかりと結ぶ。自分の触れたところに血の跡が残ってしまった。それに小さく謝ると、急に……力が抜けて、コウはその場に座り込んだ。
 フィユーを還した実感は、まるでなかった。
 涙が出てこないのが不思議で、何度もまばたきしたが彩がはっきりとしない陰影な世界が見えるだけだった。
 闇しか、見えなかった。
    ココは、どこ………?
 少しでも遠くに行きたかった。村から遠ざかりたかった。
 リンの中であることは、空を覆い尽くす木々の生命力を見て判った。そして――――――自分はもうどこにも帰れないということも、おぼろげな意識であってもわかった。
 何も、聞こえない。
 ひしひしと、闇が絡みついてくる。
「……」
 誰かを呼びたくて口を開いたが、ひゅーひゅーと風がでてくるだけで、誰の名もでてこなかった。
 木の葉一枚一枚を形どった闇を虚ろに見ていると、視界の片隅に光が見えた。
「……?」
 その方面は、闇に埋もれることなく姿形を維持して、赤みを帯びた光に照らされている。
 目が、明かりを見つけて萎縮した。
「……な、に?」
 リンの中にある、光。
 闇夜に灯られた火に惹かれていく羽虫のように、コウは光へと身体を進めた。
 立ち上がる気力もなくて、這って進んだ。すり潰された草の青臭さは、鼻を刺激する。その匂いが、少しだけ感覚を取り戻してくれる。自分が動いている事がわかって、身体を動かそうと、無意識に力を込めていった。
 光は、窪地の中心で焚かれていた火が光源だった。高さがある窪みは光を抱え込み、光は空へと逃げていたが、大木の葉に拡散されて空に届く前に闇に呑み込まれていく。
 火は急ごしらえのもので、寄せ集めた枯れ草は大きく燃え、舞うことがあった。飛び散る火を避けるように輝きが一番強いところにはだれもいなく、闇と交わって光が翳る場所にいくつもの気配があった。
 ぼぉっと、勢いよく燃え上がった炎が辺りを照らす。
「え……」
 一瞬見えた光景に、コウは震えた。
「なぁ、なんで――」
 確かに、見えた。
「あれは………」
 ――――リャンだった。
 踊る光に照らされて、信じられない光景が見える。
 意識のないリャンは背負い箱に詰め込まれていた。箱は蓋をされ、変わった格好をした男に担がれる。男は箱を軽々と持ち上げて闇に向かって二、三言葉をかけると、その場を立ち去ろうとした。
「……っ」
 行かせてはいけない。けれど、どうすればいいかわからない。
 言葉が、でてこなかった。
    だめ、だ………! 
 思わず叩いた地面が、ぼろりと崩れ言葉の変わりに音を生み出した。
「誰か、いるのか」
 自分の方へと近づいてくる気配。叢を長い棒のようなもので掃っていった。
 ざぁっと、目の前の草が薙ぎ倒される。
「………!」
 自分を見る目と、視線が絡まった。
「なんでェ、餓鬼か」
 もう、身体は動かなかった。襟首を捕まれると、光の中へと引き摺られ、放り投げられた。
「餓鬼、一人ですわ」
 地面に打ちつけた顔をあげて、少しずつ少しずつ視線を上げていった。
 人間の足がいくつもあった。その中の一つが、近づく。
「見たのか………」
 そう言って、光の空間に踏み出してきた者を見て――――――コウは、凍りついた。
「え――」
 ぱちり、
 どうして、その人がいるのか。
 〝迷子〟となったリャンが箱に詰め込まれて、連れ去られたこの場に、何故、目の前の人はいるのだろう………?
 その答えをだそうと、必死に考えるコウの耳に男の声が届いた。
「まったく。カヤといい、お前の家のモンはどおしてまぁ…………」
 何故、カヤの名がココで言われるのか。
「……カヤ?」
 その人と、目が合う。
 自分を見下ろす目。それは、記憶にある人物であることに間違いなかった。
「そう、お前の姉だ」
「村長様……、どうしてカヤの、ことを――――」
 男は、自分の正体を口にしたコウに尊大に構えて、言った。
「お前の姉はな……見てはいけないものを見たのだよ」
 口端を吊り上げて、村長が言う。
「今の、お前のようにな」
 くくくく、喉の奥で笑い声を噛み殺して「いくら口が利けないといってもなぁ………」にたり…、村長はコウを嘲笑う。
    ………違う、
 コウは、息を詰らせた。
 村長が浮かべる表情一つ一つの意味に、ふつりと怒りが湧き上がった。嗤っているのは、自分ではなくてココにはいないカヤを――――、貶めているのだ。
 震えながら、ゆっくりと息を吐き出していると、村長が口端を吊り上げたのが見えた。
「そのままにしておくほど、甘くはない。唖者(あしゃ)とはいえ見目麗しさは村で一番だ。欲しがる人買いは、幾らでもいたぞ」
「―――」
 何も、聞こえなくなった。
 呼気が、震える。視界がぶれる。身体の自由が、利かなくなる。
    何て、言った?
 コウは、混乱した。
 たくさんの記憶と言葉が、混ざっていく。纏まりなく混ざり合う中で浮かびあがったコトと村長に言われた言葉が結びつく。
    人買いに………、
 纏まりかけた思考が、混乱してまた消えていく。
    カヤは、迷子じゃなくて―――
 うまく、考えれない。
 村の長を務めるものがすぅっと片手を上げると、光の空間の中に幾人もの男達が這入って来た。にやにやと、コウの有様を見て嗤う。獲物を前にした獣の目だった。
「お前も、だ………コウよ」
 男達が、コウを囲むようにして立ち並ぶ。膝までの長さがある履物が、硬質な音を発した。
「もともと他所モンだったお前らが村外れに家を持てたのは、私の祖先に交易の術を伝えたからだ」
「交易……、術………?」
「外の者と遣り取りする方法だ。それがあって初めて豊かさが手に入る」
 男達は手にしていた長い棒を両手で掴み、それぞれ別方向へと滑らせていく。冷たい光が棒の中から現れた。金物に似た光を放つ長い棒を手に、村長がコウから離れるのを待つ。
「その情けで今の今までお前の家系は続いた。もう、いいだろう」
「カヤ――」
 吸い込む息と同時に出した言葉は潰れて、言葉になっていなかった。吸って吐くという当たり前の動作がうまくいかず、コウは苦しげに言葉を搾り出した。
「カヤ、は………」
「さて、どうなったことか」
 意味ありげに言われた言葉に、カヤがどうなったかを、知る。
    カヤは……、
 売られていったのだ。
 村の長を務める者が、村の外へと売ったのだ。
「……ぃユー、は………」
「ん?」
「フィユーは、なん……で」
 何故、フィユーが死ななければいけなかったのか―――――その答えを、目の前の男は知っていると…………何故か、思った。コウの唇が、小刻みに震える。
 聞きたいけれど、………聞きたくなかった。
 それを聞いてしまったら、もう何もかもが壊れてしまう。その予感に、身体が震えた。
 必死に現実を拒否するコウに、村長は無慈悲に言う。
「都合がよかったからだ」
 村長は愉悦に身体を震わせていた。
「ヌシに遣える為といってもな、立て続けに〝迷子〟を出してしまったから………村のモンは抑え切れない激情を抱え込んでいた」
 何を、言っているのだろう。
 迷子、ヌシ様――――勝手に流れ込んでくる言葉が、一つの答えを導く。
「村の平和を維持するには、しこりはとらねばなぁ………」
 村、鬼と鬼の使い、村人を売る村長――――符合していく事柄。
「蟠りと一緒に小さな疑問も拭える。それに適していたからだ」
 面白かったぞ、と村長は身体を振るわせる。
「私らがしたことと言えば、フィユーという者は鬼の使いを操る、と。噂一つ流しただけだ」
 ばらばらに散っていた言葉が集まり、一つのカタチに成ると…………全身の産毛が、ざわりと逆立った。
 コウは、息をするのも忘れて村長を見た。目の前にいる男は、すべて………知っている。
「その、噂一つを村の者達は勝手に膨らませて、〝鬼〟というモノを作り上げた。自分達のしこりを取り除く為、〝鬼〟を望んだのよ」
 村の長たるこの男が、これまでの現実を造り出したのだ。
 震える身体に鞭打って、コウは村長を見る。村長は笑っていた。楽しそうに笑い、話す。
 フィユーとは、まったく違う。似ても似つかない笑う顔。
「どの道、いてもいなくてもいい人間だ…………なぁ、コウよ」
「――――」
 この男は、望んで今という現実を造ったのだ。
「なんで、なんで―――っ」
 やり場のない怒りと憤りと大きな悲しみが、コウを獰猛にさせる。
「どうして、どう……し、てぇ……………」
 荒れ狂う感情に任せて、コウは身を躍らせた。
「……ぅわあ!」
 成す術もなく話しに耳を傾けるしかないと侮っていたた村長は、突進してきたコウを避けきれず尻餅をついた。
「ギラム様!」
 周りにいた男達が、ギラムに駆け寄り手をさしだした。
「ギラム様、大事ないですか」
 村長………ギラムは、尻をつき大股を開ける自分に呆けていた。
 村の長となるべくして生まれ、長となってからは尊厳を身に纏い日々を過ごす自分が、不様な姿をしていることに――――プツンと、何かが切れる。
「この、―――餓鬼がァ!」
 ギラムの靴先が、コウの横腹を蹴り上げた。
「………!」
 強い力が塊となって自分に当たったと思ったら、身体が勢いよく地面の上を転がった。身体の回転が止まった時、叩き込まれた痛みが全身を、駆け抜けた。
「う…、ぅえ」
 ぐるぐる、ぐるぐる。感覚が麻痺し、何も認識していないような、すべてを綯い交ぜにして内へと曳き込もうとしているような………、叩き込まれた痛みが渦となって滅茶苦茶に暴れる。その烈しさに耐え切れなくて、身体を半回転させると、荒れ狂うものを吐き出した。
 強い刺激が口内と鼻腔を刺激する。
「ふん……」
 コウの背を踏んで、ギラムは鼻を鳴らした。
「私に歯向かって…………」
 容赦ない力を加えていく。
「ちゃんと教えた通り、お前は頭を下げていればいいんだっ 覚えているだろう、コウよ……………」
 忘れるわけないよなぁ――――と、口端を吊り上げて自分を見下ろすギラムの顔が、自分の中にある光景と重なり、弾けた。
「あ、……」
 鮮烈な光景が勢いよく溢れ、何度も何度も目の前を通り過ぎていった。目の前にある映像を押し退けて、観える光景。
「んーー、ひょっとして………」
 ギラムが、浮腫んだ皮膚の中に埋もれている目を大きく開いて、驚きを表した。
「こいつは傑作だ。お前、忘れていたのかぁ? 自分の親のことだぞ。それを、今まで忘れていたのか………っ はははは」
 笑い声が、頭の中に反響していく。
「あの時、起きているのかわからないほど呆けた顔していると思ったが、まったく憶えていなかったのか!」
 ギラムは、腹を抱えて笑った。
「お前の母は、とても美しい女だった」
 笑いながら、ギラムは話し始める。
「私が、人肉売りどもから守ってやったのに………あの女」
「ぐえ…っ」
 ギラムの足に力が入り、コウは空気の塊を吐き出した。苦痛に顔を歪めるコウを見て、ふんと満足げに鼻を鳴らす。
「我が強いだけでなく、頭の切れもよかった。私の家が続けたことを、村長の務めに感づいていた。知らなければ、よかったものを………!」
 ギラムの、笑い声。
 その甲高い声に、ぐらりと視界が歪んだ。
    誰かが、笑っていた………
 赤く輝いている湖が、観えた。

 何か……、聞こえる。
 誰かが喚いている。
 ひどい音が、耳を突く。
『―――お母さん』
 思わず、身を乗り出したら、カヤが両手でしがみついてきた。
『だめ』
 小さな声が、耳のすぐ傍で聞こえる。
『だめなのよ、コウ』
『でも……』
 母に、動いてはいけないと強く言われたのだ。だから、カヤと一緒に小さくなって、じっと影の中にいる。でも、母の………耳にしたことのない母の声が、少しずつ鼓動を速めていき、じっとしてはいられなかった。
『だめ………コウ』
『……カヤ』
 カヤの両手が、自分をしっかりと抱いた。しがみついてきた。
 顔を自分の身体に押し付けて、カヤは震えていた。それを見て、自分も震えていることに気づく。
 父と、ここで待ち合わせていたのだ。
 湖に沈みながら最後の光を生み出す太陽を眺める。それは、家族の楽しみだ。
 だから父を待っていたのに、来たのは………違った。
―――――おじさん、誰?
 一度だけ、会ったことがあった。
 カヤと二人で遊んでいた時、杜の陰から現れた人だった。
 誰、と聞いた自分に「聞いていないのか、お前の親に」と逆に聞かれた。じぃっと、カヤと見ていると「いずれ、村長になる者だ」とその人は言った。
 聞き覚えのある言葉にまばたきを繰り返していると、「長さま、ごめんなさい」とカヤが慌てた。
 失礼なことをしましたと、たどたどしく謝るカヤに「気にするな」とその人は言ってくれた。でも、長さまは大事な人だからちゃんと礼をつくせと教えられていた。だから、ごめんなさいとカヤと一緒に謝ると、その人は………ひどく冷たい顔をして「どうしてこの場所にいる」とまた聞いてきた。
 父と母が出会った場所だと、カヤが嬉しそうに言うと……………その人の顔に、すぅっと影ができて、表情(かお)が見えなくなった。
 そして、そのままその人は父と母の思い出の場所からいなくなった。
 母の声が響いた。
『ギラム、あなたは………どうして?』
『うるさい!』
 ぶぅん…、大きな羽虫の音がした。
 顔をあげると、光が空に向かって走ったのが見えた。
『キの者と添い遂げたお前が、どうしてだと? お前が、言うのかっ』
『ギラム……あなた』
『キの者などと一緒になりおって。 愚かな、コトを』
『どうして、そんな風にいうの? 村の人達と距離ができてしまうキの者達を等しく扱えと村の人を諭してきたあなたが、スクナと親しいあなたがどうして―――』
『何故と、聞いたなァ』
 母の言葉を遮る、しゃがれた声。
『気にいらないのさ、お前とアイツが、な………』
 母の息を飲む音が、鋭く鳴る。
『あの人は、……どこ?』
 また、空に光が飛んでいったのが見えた。羽虫の音もした。
 岩陰から少しだけ、周りを窺うと―――きらきらと、長細い光を握った人影があった。
 以前会ったことのある人。大きな影を顔にはりつけた男。
 男が手にする光を振り回すと、ぶぅ…んと、音がした。
 大きな刃が、沈む太陽の光を受けて一瞬、光を走らせる。
 見たことのない大きな刃。
 薪を集める時に父が使うものより、とても大きい。何を、切るのだろう。
『そうだな、親しいな………スクナとは』
 男が、握り締める光と動かした。
『スクナ。そしてお前と………よく遊んだものだったな』
『ギラム、あの人はどこなの?』
『何故、私を消した………』
『スクナは、どこ?』
 母と男の声が同時に響き、その音は男をいきり立たせた。
『アイツの名を呼ぶ、お前が………!』
 気にいらんのだと、空に響いた声にカヤが大きく身体を震わせた。
 閃いた光が母を翳めて――――――母が、ゆっくりと倒れていった。
『わかったか、この恥さらしモンがっ』
 そう言って、母の髪を鷲掴み『末端とはいえ村の長を務める一族の者でありながら、キに成り下がって』と大笑いした、男。
 母は、抵抗しなかった。でも、男に諂う事もしなかった。
 じっと、男を見ていた。
 互いの視線が交差し、衝突する。耐えられなくなったのは、男だった。
『お前はいつもそうだ。いつもいつもいつも、いつも……………』
 男は、嗤った。
『私を、拒む』
 そう言って、男は母に刃を突きたてた。
『お母さん!』
 カヤの手を振り切って隠れていた岩陰から飛び出すと、男を突き飛ばして母から遠ざけた。
赤い光を放つ刃をぬらりぬらり、輝かす男。
 小さな子供の力は大したこと無かったが、男の気分を損ねるには充分なものだった。
『シキの子供か………』
『コウ……、逃…さ―――』
 途切れえ途切れに自分を呼ぶ母に、駆け寄る。
『お母さんっ』
 母から流れでるものを止めようと必死に傷口を押さえていると、真っ黒な彩が落ちてきた。
 顔を上げると、ぬぅっと、手が伸びてきた。それに頭を押さえつけられる。
『ひぃ…』
『可愛げのない子供だ』
 水を含む土に、強く額を押し当てられ、男が耳元で囁いてきた。
『いいかぁ、私はいずれ村の長を務める者だ』 
 ぐいぐいと抑えこまれて、鼻と口が泥で塞がれる。苦しくて口を開くと、泥が入ってくる。
『偉い人に対して、なんだぁ………その態度は』
『……!』
『頭を下げて、敬えっ』
 男は、必死にもがくコウの頭を押しつけ、笑う。
『はははは。いいか、偉い人にはこうするものだ。わかったか』
『やめて!』
 コツリ、男の腕に石があたった。
 さらに投げつけられる石。一つが、男の額に当たり………、血が滴った。
『これはまた、………シキに似たガキだな』
 流れる血を舐めとり、男はカヤに近づいていった。
『……カヤ』
 逃げてと、言いたかったが泥に邪魔されてできなかった呼吸が再開して、激しく咳き込んだ。
 空気を求めて喘ぐ自分の身体を蹴飛ばし、男は――――カヤに近づいていった。
『さっきの威勢は、どうした?』
『来ないで、下さい………』
 男はにたりと笑い、震えるカヤの首に手をかけ、持ち上げる。
『きゃあ……』
 小さな身体は、軽々と持ち上がった。
『お前も、シキのようになるんだろうなァ』
 悲しげに眉を寄せて、男はカヤを掴む手に力を込めた。
 カヤの顔色が、みるみる変わっていく。
『カヤ、カヤ……!』
 隙間風のような音が、響く。紫色の唇を震わせて、カヤの中から響いてくる音だ。
『やめて、やめてよ!』
 必死に背伸びして男の腰辺りを叩いたが、男は笑っている。
 男の手をひっかき、もがくカヤの手が、徐々に力を失いだらりと垂れていく。
 怖かった。
 恐ろしかった。
『お父さん!』
 気づけば、呼んでいた。
『お父さん、お父さァん………怖いよっ』
 あらん限りに声を絞りだして、父を呼ぶ。
『おとーさぁん!』
 いつも自分を守ってくれる大きな手を求めて、叫んだ。
 それを切り裂く、言葉。
『スクナは、来ないぞ』
 父を求める心が、邪魔される。
『お前らの父親は、始末した。いくら呼んでも無駄だ』
『し、ま……つ?』
 男の言っていることが、わからない。
『もう湖に沈めたから見せてやれないのが、残念だ』
 男が、顔を近づけてくる。
『鬼の使いに襲われた、憐れな一家………私は、子供を助けた偉人』
 沈む太陽に引き摺られて濃さを増した影から男の顔が、ぬぅっとでてきて………コウに、笑いかけた。
『わかったな、子供』
『………』
 沈む太陽が湖を赤く輝かしている。
 キラキラと光る赤い彩。
 その光を目に写して、男が自分を見る。
 言葉が出なかった。
 縋るように母の手を握ると、ぐにゃりと、不明瞭な感覚が掌に伝わり悲鳴をあげた。
『お…カ、さん………』
 母は、何も応えなかった。
 少しも、動かなかった。
 それがあまりにも不思議で、コウは俯いた母の身体を起し――――――母ではないその在り様に、ぶつりと世界が切れ、真っ暗になった。

 あの時と同じように、ギムラが顔をコウに近づけてきた。じとりと、ねめつけられ………肌が粟立つ。
「村を逃げ出すかと思ったが、………スクナと添い遂げた」
 ギラムの形相が、険しくなった。陰を含む、恐ろしげなものに――――変貌する。
「逃げるならまだしも、よりによってスクナと、スクナを…………!」
「がはっ」
 脇腹を蹴られたコウは地面を転がった。
「私の見えるところで幸せになって、他の男の物になって」
 ギラムはコウに近づきながら、言った。
「知っているか、コウよ。お前の血脈を表す〝キ〟という韻」
 痛みと苦しさで混濁する意識に、悪意の込められた音が滑り込んできて、コウはせりあがってきた塊を吐き出した。
「うぇ…っぐ」
 口内に広がる、生臭さ。自分の吐き出したもので、黒いシミが地面にできていた。
 にたにたと笑うギラムの顔がおぞましくて顔を背けたが、顎先を掴まれると乱暴に顔をあげさせられた。無理を強いる体勢に、ぎしりと骨が軋む。
 ひひひ、とギラムが喉を震わせて楽しそうに、コウへと言った。
「〝キ〟という韻はなァ………鬼(おに)を意味する」
 愉悦に顔を歪めて、言う。
「鬼の、別の呼び方よ」
「………っ」
 コウの反応を見て、ギラムはさらに嗤う。
「うそ、だ………」
「本当だ」
「真名を与えると、鬼―――なのよ」
 驚きに身体が固まったコウに、更なる打撃が与えられる。
「鬼というのは、お前らの血脈だった………そうだろう、コウよ」
「……嘘だ」
 では、フィユーは何なのだ。
 鬼と罵られ、暴挙に曝され、そして殺された。
    ――――――何も、悪いことはしていないのに。いつも笑っていたのに。いつも、優
しかった。それだけなのに……………。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!」
 喚くコウの髪を乱暴に掴み、ギラムは耳元に囁いた。
「嘘なものか」
 ギラムと、目が合った。
「お前の血脈は、鬼だ………」
 どろり……、ギラムから注がれる瞳の惛(くら)さに、コウは呑みこまれた。
 投げ捨てるようにギラムが手を離すと、弛緩した身体は地面に打ち伏す。ぴくりとも動かない、コウの周りを男達が囲んだ。
「犬コロに噛まれた礼をしてやるよ」
 左腕に布地を巻きつけた男が、横倒れになったコウの身体に足をかけ、仰向けにすると、布地をとって傷を見せつけた。
「傷口が疼いてしょうがねぇ。お前の犬コロだろう?」
 歯型が、深く男の腕に刻まれている。
「クソ生意気に歯向かいやがった女を守ろうと、人間様に牙を向きやがって」
 手にした光をコウの首筋近くに突き立て、にたり、男の口が吊りあがる。
「飼い主として、責任を果たしやがれ」
 ざりざりと土を抉りながら刃を近づけ、コウの肩口に当てた。ぷつり、肉が切れても、コウは身じろぐこともせず、ただ……虚ろだった。
 男は、柄を握る手に力を込め、伝わってくる肉の感触に満悦な表情を作っていく。
「責任とは……、また大層な言葉を遣う人間がいたものだ」
「………!」
 その場に立つ者達は、一斉に周りを見た。
 声が、闇の中から聞こえてくる。それに、男達は激しく動揺していた。
「いや……、人間という言葉を当て嵌めるのは頂けないな」
 すうぅーーと、闇から塊となり、それは人間を形どった。
「獣―――、もいかんな。懸命に生きる者達に失礼だな」
 闇の中から浮かび上がってきた声にひかれて、コウの目が動いていく。
「………ヒゲツ」
 映った姿の名を、コウは口にした。
 ヒゲツは睨みつけてくる男達を歯牙にもかけず、コウへと足を進めた。
「テメェ、いい度胸だな……」
 怯むことなく自分の横を通り過ぎようとしたヒゲツを、男は刃を突きつけて止めさせる。刃にはコウの血がついていて、男はそれを舐めとった。
「俺を無視したのを後悔させてや――――」
 男の声が、水音に塗り潰された。勢いよく、水飛沫が飛んでいく。
「は?」
 男は何度も周りを見て、水がどこからでているのかを探した。意外と近くで音がすると、自分の首をかくと………勢いを殺がれた液体が、ぬるりと腕に絡まった。
「あ、あぁ………あああああっ」
 自分の身に起こったことが理解できず、男は絶叫した。
「お前……」
 限界まで見開いた目をヒゲツに向け、男は倒れた。何度も身体が痙攣していたが、起き上がることは、二度となかった。
「な……、テメェ!」
 男達は一斉にヒゲツに向かっていった。
 ヒゲツは光の空間から退いていく。逃すまいと、刃をぎらつかせ男達は追っていく。
「ぎゃあ!」
 人間の叫びらしきものが一度だけ聞こえた。その後は、濡れた音が………何度も響き、やがて静かになる。
 ゆらゆら、絶えず動く炎の輝きが、闇から迫ってくる静寂を撥ね退ける。
「おい……」
 漂う静けさに耐え切れなくなって、ギラムは自分と一緒に残っていた者に声をかけた。
「どうなった?」
「わかりません。けれど、あれだけの強者どもを相手にして、無事で済まないでしょう」
 聞こえてくる会話に、コウは軽く瞼を閉じる。
 もう一人の声………、どこかで聞きた気がした。
「まだ戻らんのか、あいつ等は」
 ひらすらに続く静けさに、ギラムは苛立ち、舌打ちする。
 ヒゲツは、無事なのだろうか………。痛みに引き攣る身体を動かして、闇を見る。
 暗がりが幾重にも重なり、ヴェールとなって隔たりを厚くする。
 ゆらり………、炎が動くと、光が空間も不安定に揺れた。その一瞬の揺らぎが終わると、ヒゲツが立っていた。
 ヒゲツは悠然と立っていた――――――が、闇に侵食されたかのように黒い彩がヒゲツを蔽(おお)っていた。
 ゆらゆら………炎が動く。不安定な光の中では、色彩がうまく作られない。けれど、ヒゲツに喰らいつく闇の正体は、誰の目にははっきりとわかった。
「なぁ……、何故!」
 無言で近づくヒゲツに、ギラムは小さな悲鳴をあげ、喚いた。
「貴様、自分のしていることがわかっているのかっ」
 ヒゲツの足が止まる。
 自分に近づいてこないことを知って、ギラムは勝気に笑って言う。
「こんなことをして」
 懐へと片手を差し込みながら、高慢な態度で言い続ける。
「私にこのような事をして許されるとでも――――」
 ギラムの言葉は、途中で途切れた。
 見下していた相手と、目が合い………鋭利な光を宿す目に見られ、懐に隠した短刀を握りしめた手が凍りつく。
「その言葉、そのまま返そう」
 ヒゲツが腕を振ると―――ひゅん、と風が起こった。
「何……?」
 ギラムは、胸に違和感を覚えて懐に差し入れた手とは逆の手で、軽く叩いてみた。
 べちゃり、粘液質な音がした。
「ん、なんだ?」
 自分の胸元から飛び散ったものを追い、地面についたシミを見る。
 揺れ続ける光は不鮮明で、はじめは黒い塊にしか見えず、ギラムは首を傾げた。少し離れたところに点々と飛び散り、足元には大きな塊がある。目を凝らして見ると――――――手だった。
「あ、あぁ……?」
 切断されたところから流れるものが、炎の輝きに光る。
「………」
 ギラムは、ゆっくりと首を曲げて自分の胸元を見た。
 右脇腹から左肩にかけて、ぱくりと身体が割れていた。懐に差し入れていた手は、手首から先がない。
「ひやぁあ!」
 ギラムは、流れ出るモノを必死に押さえつけて「ひやぁ、ひあぁ………」と喚きながら、地面にうつ伏していった。
 ぱちり、炎が舞った。
 今、この場に立っているのは………ヒゲツと、もう一つの人影。
 その者は、全身を布地で覆っていた。顔まで覆うその者は、ヒゲツに向かうことはせず、寧ろ腰を退いていた。
「言葉というものは己の心を伝えるものだ。相手を束縛する為に遣うなど、もっての他」
 対峙する者は、大きく身体を震わせた。
「お前は、そのことを重々承知しているのではないか?」
 ヒゲツの鋭い眼力に射られて、その者は自ら地面に打ち伏した。
「た、たすけ――お願い、助けて!」
 頭を掻き毟り、唾を飛ばしながら命乞いをする男。半狂乱する男から顔を隠す布地が落ちて、涙に濡れる横顔が見えた。
「司祭、様………」
 眼孔に這入ってくる造形に、コウは瞠目する。目に写る顔は、村で見る顔。ヌシ様を祀り、宴や祭りを仕切り、村人を迎え入れ、見送る――――村の司祭だった。
「私は、悪くないっ……悪くない。 この村を守る為、だからぁ………」
「ふざけるな!」
 真っ赤な口を大きく開けて、吐きでる血に言葉を染めてギムラが言う。
「お前は、司祭という身でありながら女と通じた!」
「あぁ、やめろ……やめろぉ…………」
「なのに、女に子ができると自分の罪を消そうと躍起になって、女を始末した」
 ギラムは、血を吐き出した。少なくはない量を吐き出しながらも、ギラムは喋ることを止めない。自分が迎えようとする、どうしようもできないコトから目を背けようと、いきり立ち、怒鳴る。
「そして、遂に自分の子を」
「やめてくれぇ!」
「女が逃がした子を、今回の騒ぎで村人に殺させた!」
 ギラムが曝け出す事実に、コウは小さく息を吐いた。
「あ――」
 村人の意識が混濁する中、無情な響きで言われた言葉。
 その、言の葉は………まるで歌のように澄んだ響きだった。
 宴の時の祝い言葉や事始の歌の響きと似ていた。
「はぁっ、ははは……何が司祭だ!」
 ギラムの笑い声が、渦を巻いて空を突く。
「都市からのはぐれ者が!」
「許して………」
 大きく笑うギラムの声は、停滞する闇を蠢かせた。
 ざわざわ、ざわざわと、木々が落ち着きなく靡く。
「許して……くだ、さぃ………」
 司祭と言われる者は蹲り、震えていた。
「ワタクシは司祭としてココに来たのではない………本当です」
 額を地面に擦り付けて、司祭と呼ばれたものは自らの行いを告白し、訴えた。
「なのに、なのに――――」
 嗚咽を呑み込んで、必死に訴える。
「チヨム様が……………」
「親父殿の所為にする気かぁ………ガハ」
 司祭の言い分を、ギラムは血を吐き出しながら否定する。
「お零れに――ぐ、はぁ! あやかりながら、……よく、言う」
 ギラムは大量に血を吐いた。粗い息遣いはなかなか整わず、浅く速い息遣いが続く。けれど、喋るのをやめなかい。
「私らを、責めるなど……………おこがましいわ!」
 ギラムは、笑った。笑い声は少しずつ擦れていったが、ギラムは笑い続けた。
「許して、許して………」
 すすり泣き、司祭は謝罪を繰り返す。何度も何度も、許しを請う。
「―――」
 感覚のない身体を引き摺ってコウは司祭の前に立った。そして、――――何も言えなかった。開きかけた口を固く閉ざす。
 もう、司祭様とは言えなかった。
 息を苦しくする、この熱くて冷たい塊を言葉に込めて、足元に蹲る男にぶつければ楽になるのか…………村での光景が甦る。フィユーに乱暴を働いた村人と同じコトをすれば………この痛みは、無くなるのか。
 唇にたてた歯が、ぶつり、薄い皮膚を破った。
 翳む視界に、額を地面に押し付けて泣きながら謝る司祭が映る。コウは蹲る者を一度だけ、小さく呼んだが、司祭は同じ言葉を言い続けるだけだった。
「行こう」
 ヒゲツの声でコウは我を取り戻し、改めて周囲へと目を向けた。
 光の輝きに邪魔されて見えなかったが、光と闇が混ざり合った場所に塊がいくつも転がっていた。人の形をしたそれらが動くことはなく、ただ土にシミを広げていた。
「………」
 血の匂いは、もうわからなかった。
 すべての感覚が麻痺していて、自分が立っていることすら認知できずにいる。
「コウ」
 名を、呼ばれて………初めて、自分が自分だと判断できる。
 コウは、ヒゲツ追って赤い色彩に埋め尽くされた場所に背を向けた。
 赦罪を求める声が、リンの中に木霊となって響いていたが、やがて木々のざわめきに紛れ、溶けていった。














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