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「はじまり   風が運び去る現」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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はじまり   風が運び去る現



「起きろ」
 冷たく発せられた声が耳を擽った。
 無機質に放たれる口調。慣れるには、少し時間が必要だった。
 自分が聞いていた声とは、あまりにも違っていたから。
 ――聞いていた?
 重たい頭をゆっくりと起こしながら、よぎった言葉に眉根をよせる。
 何を聞いていたというのか。
 軋む体を無理矢理起こし、霞がかった思考でしばらく考えてみた。
 ――やめよう。
 小さく息を吐き出す。
 どうせ、何の答えもでてこない。
 自分の頭の中には、何もない。空白というモノに塗りつぶされている。そのことを象徴するようかのようなこの髪。
 肩口から流れる髪を見る。
 曇天の空から幽かにとどく光に、ちろりと光った髪は真っ白。何の彩りも持たない髪。
 指先に絡めてみる。質感も光沢もない白いモノの集まりに見えた。
 ――もっと、綺麗なものだった。
 光を寄せ集めて紡いだような髪。一本一本が輝いていた。こんな……、朽ちる寸前の葉のような髪ではなかった。
 ――綺麗な、髪だった。
 ずきり、痛みが走る。
 ――誰が?
 自分は今……誰のことを思い浮かべたのか。
「…っ」
 鋭い痛みに、思考が途切れる。
 呻き声が零れた。頭の中を掻き乱されて、声がかすれる。鼓膜を震わす耳障りな音がさらに痛みを増幅させるから、唇を引き締めて痛みに耐えることだけを意識する。痛みが怒涛のごとく駆け巡る。頭だけではなく、全身を駆ける痛みに手足が痺れて思うように動かなくなる。
 震える手で頭を抱えて蹲ると、瞼に遮られた視界に浮かび上がってきたモノがあった。
 昏い中で、見えるモノ。
「な、に……?」
 体が跳ね上がり、思わず目を開けた。
 定まらない視界にちろちろと光が舞って、意識が呑み込まれそうになる。曖昧な感覚に包まれる中、先程見えたモノがはっきりした形を持って近づいてきた。
 焦点の合わない目に映るソレにふれようと、そっと手を伸ばすが――――さわることはできなかった。
「何をしている」
 乱暴に髪を摑まれて、意識が冴えた。同時にさわろうとしたモノが消えていった。
「あ…」
 溶けていく残滓を追うとしたけれどさらに強く髪をひかれ、顎をつかまれる。視界一杯に、男の顔を映った。
 蟒(うわばみ)の呼び名を持つ、一団の頭領。
「今日の獲物はどこぞかのお偉い方だ」
 彷徨っていた視線が、男のものと絡まる。
 冷たい相貌の、冷たい目。笑みを浮かべると余計に冷たさが増した。
 手足が凍えるのは、外気だけのせいではない。この男に見られると、凍えた。
 ふと、束縛がなくなって無理な体勢を強いられていた体が投げ飛ばされた。ぎしりと、木組みの寝床が軋む。男の重さも受け止めた木は何度かたわんでギシギシと鳴った。
 男の手が、頬を撫でる。
「守りは厳しいが、収穫はその分期待できる」
 先程の乱暴さを感じさせない手の動きに緊張していた筋が緩みかけたが、近づいてきた唇に再び緊張する。
「……」
 無造作に束ねられた男の髪が自分に降り注ぐのが映る。ツンとした香りが鼻を突いたと思うと同時に視界が利かなくなり、深まる香りと絡み付いてくる感触。
 いくら触れ合っても、男からあたたかさは感じない。
「遅れるな」
 そう言って、男は部屋を出ていった。


「お前は、二ノ隊を使え」
「はい」
 弱々しく声を発し、蟒がこの場を離れたのを足音で確認すると与えられた隊の者達へと目をむけた。
「宜しくお願いしますね、カジョウ様」
 揶揄する声がかかった。そちらを見ると、焔のように瞳を滾らせた女と目が合う。女は、自分の首筋に刺し込まれた文様を見ると、一層顔を歪めた。昨夜、新たに刻まれた文様。まだ肌に馴染まず、そこは少し腫れている。足首から始まった蟒の印付けは、衣服で隠せないトコロまで及んでいる。文様は、砦の者達の目を否応なしに集めた。
 今すぐにでも斬り捨ててしまいたいと、語る女の目。従順な様を装うがそうではないのだと、目が何よりも雄弁に語っている。
「……」
 くるりと、自分にあてがわれた者達を見渡すと、皆似たり寄ったりの気配を滲ませている。
 数少ない女達は、自分に声をかけてきた者と同じ焔を大小なりと宿し、男達はそんな女達の様相を愉しんでいる者もいれば、野卑た笑いを浮かべて自分をねめつける者もいる。
「さぁ、いきましょうぜ。カジョウ様」
 カジョウ。花娘という文字があてられる名。
 一団の者は、自分をそう呼ぶ。長である蟒に拾われ、彼の望むままに動く自分は確かに飾りもののような存在だろう。蟒からは、別の名で呼ばれているが、どちらでもよかった。
 どちらも自分の名ではないのだから。


 待ち伏せていた隊列は、戦術に長けた者達に固められていた。しかし、統率力がなく、戦いが長引くほど乱れていき、やがて攻め落とされた。護ることは攻めるより難しい。何を護るためにどう動けばいいかを指示する者の能力で左右されるのだ。一人一人が優れていても、無意味になる。予想以上の収穫を得て、一向が戻ると酒宴が開かれた。
 歓喜に夜が照らされるのを、ぼんやりと見ていると扉が勢いよく開かれた。
 入ってきた気配に目を閉じると、肩を曳かれ寝具に仰向けに倒される。
「拾って、正解だったな」
 肌を撫でる吐息に、口端を吊り上げて冷たく、そして酷く綺麗に笑っているのがわかる。
「まさか、これほどに戦術が高いとはなァ。なかなかない逸材だ」
「……」
 今日、一行が襲った隊列はとても無残な有り様となって道端に転がされた。
 あの光景は、自分が作った。それを改めて認識させられる。
 突然、体を走り抜けた痛みに呼吸が止まる。ぷつり、体の表面に穴が空いたのがわかった。
 くつくつと、笑う声。
 一つ、息を吐く。そして、力を抜いて四肢を投げ出した。
 蟒は手加減などしない。自分の都合のいいように、嬲り、楽しむ。消えない痕は、もう数え切れないほどある。
「お前は、優秀だ。ショウビ」
 耳元で囁かれる言葉は冷たく、体はどんどん冷えていく。
 与えられる刺激に麻痺していくけれど、蟒に対して自分が感じるものはいつも冷たく凍えたモノだけだ。蟒が冷酷で残忍だからではなく、すべての物事を冷たく凍えたものとしてしか受け止めれない自分がいるから…………。
 それすらも他人事のように受けとめている自分がいる。
 ――今日は、星が見えない。
 逆さに映る室内。高い位置にある細くて小さな窓から、厚い雲に覆われた空が見えた。
 明日は、雪が降るだろう。


「……きれい」
 小さな呟きが、呑み込まれていった。すべてが一つの色彩(いろ)に埋め尽くされている。吐き出す息も、景色の中へ溶けてゆく。
 銀色の輝きを持つ、白い世界。
 汚すのがしのびないほどに、真っ白。けれど、その白さの中に這入っていきたかった。
 雪は、すべてを無に還す。
 色彩も、音も、匂いも、何もない。
 自分の存在すら、真っ白に溶けていく。
 踏み出した足が、雪に跡を残す。さくりさくり……雪に跡を残す。音はなく、振動が伝わってくるだけだった。踏み出すたびに体に響く。真っ白な世界に自分の痕跡が残っていく。何だか、不思議な感じがした。
 吐き出した息が空にむかっていくのを追っていると……何かが視界の片隅で動いた。
 自分しかいないはずの世界に、音がする。
 ――死神……?
 何故か、そう思った。
 真っ白な世界に現れた真っ黒な影。ソレはゆっくりと向かって来る。世界に溶けてなくなっていた自分に気づいて近づいてくる。
 自分が、わかるのだ……。
 見えるのだとそう思ったら、自分を迎えに来たモノのように感じて、何故だかひどく安堵してしまった。これで、自分は無くなるのだと思って、ほぅと、息を吐いた。
 風が、雪をかき混ぜる。
 空から降って来る雪も、大地に降り積もった雪も、舞い踊る。天も地も関係なく舞い躍り、世界を真っ白に塗り潰した。
 自分を迎えに来た、死神。
 じぃっと見ていると、男の姿をしているとわかった。
 男を象っている黒い色彩は、真っ白な世界の中で孤高にある。
 膝下までの泥と埃にまみれたマントの表面を、さらさら雪が零れていく。その煌めきに目を細め、ふわりと舞っていくのを追うと……刃のように鋭い輝きを放つ髪が目に飛び込んできた。
 風に舞ってフードが外れ、光を撚って作り出された銀糸が、零れた。見たことのない輝きをなびかせる髪が、瞳に映る。
「…っ」
 ずきり、痛みが走った。頭を抱えて、その場に蹲る。ずくずく、ずくずく、蠢きだした痛みに吐息が震えた。
 先日、襲撃をした隊に関わる者が、ここを嗅ぎつけてきたのだろうか……。
 痛みに、自分のすべきコトを思い出す。
 棲み家が露見すれば、今までしてきた所業がここを呑みこんでいく。数知れない恨み呪いが押し寄せてくる前にどうにかしなければいけない。けれど、痛みは治まるどころか、体の末端にまで伝わって、うまく動かすことができなくなった。
 己の内側から、何か不可解な痛みが全身を駆け抜けていき、心の臓が煩くなり響く。
 息を吐き出すと、呻き声のような音がでた。
 体が、悲鳴を上げているようだった。
 痛みに歪んでいく世界に意識が朦朧としたが、視線を感じて、乱れる息のまま顔を上げた。
 色違いの眼が、自分を見ていた。
 赤と青みがかった白。
 二つの色彩が、自分を捕らえて放さない。
 ――痛い……、
 痛みに、目の前が翳んでいく。
 雪に烟(けぶ)る世界は自分をおぼろげにするのに、その中で自分を捕らえて離さない眼。
 ざくりざくり、雪の押し潰される音が痛みに疼く頭の中に這入ってくる。
「やっと……」
 とても近くから発せられた声に、驚きが痛みを押し退けて、思わず目を向ける。
 光と闇が綯い交ぜになった空から落ちてくる雪に、頬が濡れた。触れた瞬間に、溶けて冷たい水になっていく。自分に温かさがあるのかと、ぼんやりと考えた頭に、また声が聞こえてきた。
「やっと、会えた」
 声の主に視点を合わせる。
 違う彩りの眼と向き合うことになり、ずきり、痛みが駆け抜けた。
 男は、戦慄く唇を引き締めると、手を……その風体からは考えられないほど怖々と持ち上げ、頬に触れてきた。冷えた頬が、温もりに包まれていく。
 そして、男が呟く。
 震える唇を懸命に動かして、男は言った。自分に、呼びかけてきた。
 紅――、と。
 その囁きを耳にした途端、視界が回り、世界が歪んですべてが混ざり合っていった。
 何もない私の内へと入った音が、空っぽの私の内を掻き乱す。
 異なる彩りを宿す眼が、自分を射る。
 赤い眼が、私を……見る。
 眩暈がして、体を支えられなくなった。
 視界が霞んでゆく。形を無くしていく世界の中に浮かび上がる色彩(いろ)……赤い眼。じぃっと自分を見る、人の目。
 赤い彩りに映る、自分。
 ぐにゃり、世界が歪んで足元が覚束なくなる。

 赤い色彩は、始まり。
 白い世界で、唯一自分が持っていたもの。
 命の彩り。
 力強く、命の鼓動を刻んでいく色彩。
 赤い色彩は、終わり。
 すべてが、その濃厚な彩りで描かれた時。
 赤い眼が、自分を見ていた。

――――――誰か、いる………

 ――誰?
 自分に向けられる、視線。
 ――何を言っているの?
 ゆっくりと開かれた口。けれど、何も聞こえてこない。ただ、自分を見る目の……曲解する光が、自分を冷たく突き放す。
 ――どうして、……そんな眼をしているの?
 遠ざかる意識の中で語りかけたけれど、答えを得る前に闇に呑まれた。













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