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「一、湖を崇める民」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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一、湖を崇める民


 湖に大きな波紋が広がった。
 きっとどこかで魚が跳ねたのだろう。広がる輪は水に浸かった自分の足に、微かな振動を伝え、消えてゆく。
 木々の枝に緑が芽吹くより先、この辺りの水の藻は新緑を宿す。その彩と香に誘われて、水の虫が集まり、それを追って次々と魚が集う。
 日の昇る前に仕掛けた網にはしばらく食べるのに困らないほど魚がいた。
「……………」
 水面を走る光に、視界を狭める。
 一月前はこの湖の流れが狂い、流れ込む水が途絶え、干上がりそうになったことが信じられないほど、今豊かさを称えている湖。
    ヌシ様の機嫌がよくなったのだろうか…………。
 ふぅ…と、小さく息を吐き、少年は網をすべて引き上げた。
「よっと……」
 予想以上の収穫に、掛け声をだして肩に担ぎ上げる。
 ゴツゴツした石に足をのせ、一度岸へと戻った。
    早く、カヤに見せてやりたい
 嬉しさに息が弾んだ。
「コウーー」
 振り向くと、自分と似た影がこちらに駆けてくる。よく通る大きな声で「捕れたかぁ」と聞いてきた。
「おーー、すごいな。カヤとお前だけでは食べきれないだろう、腐らせるだけだから、くれよ」
 無遠慮な言葉に難色を示すことなくコウと呼ばれた少年は親しく話し掛ける。
「いいよ。他にも仕掛けがあるから手伝ってよ」
「あぁ?」
 露骨に顰められる顔に怯まずコウは言う。
「いいじゃなか、トギシュ。家族の腹を満たす食を手に入れるんだ、安いだろ」
 すいと、網の跡がついた指をあげる。
「あそこ、一里離れたところだよ」
「あ?何だって、イチ……何いったんだ?」
「あ、ここからの距離を言ったんだよ」
「キョリ? 何だ、それは」
 トギシュは、憮然とした。
「時々、お前よくわからんこと言うな」
「ごめん……」
「ま、お前に限らず〝キ〟のもんは昔っからおかしなコト言うって、ババが言ってたからな」
「…………」
 トギシュの言葉にコウは一度口を噤んだ。自分の家系は変わった事を口にする者が多いと言われるのは今に始まった事ではない。コウは岩陰から突き出た木の枝を指差してトギシュの視線を誘導してから言う。
「あそこと……ほら、一際水面が淡く輝いているところがあるだろう」
「んーー?」
「あそこにも仕掛けをしたんだ」
 熱を込めてコウは説明したがトギシュは「行けばわかるって」と手をひらひらと振り、コウの指差すほうを軽く睨んで前へ飛んだ。
「仕掛けは編み籠だろ?」
「そう……、その通りだよ」
 コウは笑いと溜息を同時にこぼした。
 同じ仲間内で行われる漁は、よくトギシュと組む。だから、彼の気性には慣れている。ショウテイの頂を常に覆い隠す雷雲のごとく怒るかと思えば、村の広場を通るそよ風のように心地よく………と、多彩な感情を表し、周りの者を振り回す。悪意を持っている訳ではないので根気を持てばよい関係が築ける。ただ感情に任せて放たれる言葉の強さにはなかなか慣れなかった。コウは、もう一つ小さく息を吐いた。
 仕掛の場所さえわかれば、後は勝手知ったものと、トギシュは水飛沫をあげた。
「任せろって」
 難色に染まっていた顔は意気揚々としていて、ぴしゃりとコウの肩を叩いて仕掛けの元へと走った。
「頼んだよーー」
 水面を撫でながら遠くへとコウの声が広がっていく。トギシュが仕掛けへと手をかけるのを目の端に捕らえてコウも自分の手を動かしていった。
 引き上げられる仕掛けの中で安住していた魚が水の中から空気の中へと放り込まれたことで、身をくねらせて驚きを露にする。激しく尾を振りまわす魚は力溢れて、食した者に精をつけてくれそうだ。
 コウは、満足そうに息をついた。
 ビチリと尾をふり回す魚はカヤを力づけてくれる。最近カヤは熱をだす事が多い。笑う事が少なくなったし、暗い表情で考え事をしている。活きのよい魚を食べれば力がつく。そう思うと嬉しくなって、網を引く手に力が入る。
 今すぐにでも家へと向かいたいと焦るコウの頬を赤く染まった光が撫で、水面の上をキラキラと踊っていた。
「コォウーー」
 トギシュが片腕を勢いよく振って近づいてきた。
 身軽に動いているが、時折危なげに身体を揺らしている。厚みのある足で踏ん張って無事コウのとこまで来ると、声を張り上げた。
「おー、大量だなっ。こっちもたくさん獲れたぞ」
 魚を枝垂れに刺して担いでいたトギシュは、背をむけて獲れた分を見せる。
 トギシュの持っている分と自分の手元で跳ねる魚を見て、コウの声が弾む。
「すごいな、ヌシ様のおかげでしばらく困らない」
 それを聞いて、とトギシュは鼻を鳴らした。
「まったく………満月に迎えた賓客の時、これだけとれていれば俺達恥かかずにすんだのになぁ、クソ」
 確かに、と、コウはトギシュに賛同した。晴れた満月の下に迎える賓客は、村人全員で持て成す。けれど、どんな贅を凝らそうとしても元手がなければどうにもできない。
 荒れた湖から獲れる魚は少なく、貧弱なものばかりだった。寄せ集めの食材でなんとか賄いをしたが、満足のいくものだったとは思えなかった。
 けれど、うっかり不満を漏らして湖の主を怒らすのはよくない。コウはすぐさま思いをうち消し、トギシュに言った。
「そういうのは、よくないよ」
「あ…っと、そうだな」
 トギシュは、下唇を噛み、湖に対して頭を二度下げた。
「ヌシ様は最近ご機嫌がいいようだから、これぐらいの言葉は聞き逃してくれる、かな?」
「どうだろう?」
 二人は、暫く顔を見合わせて同じタイミングで湖の中心へと身体を向けると、讃えの詩―――湖の主を褒め称ええる節だけを読み上げて、最後に深くお辞儀した。
「これで、大丈夫だな」
「もちろん。けど、祭司様のするように印をきったほうがよかったのかな?」
「いいんじゃねェか。 俺達は単なる村人だぜ」
「そっか」
 湖の中に沈もうとする太陽の光が湖に影を濃くし、湖に映っているものが徐々に深まる闇の中へ呑み込まれていく。
 少しずつ変化する空に合わせて表情を変えていく湖を眺めていると、湖畔にのそりと動く大きな塊が見えた。
 その塊がなんなのか、目を細めるとトギシュが声をだした。
「あれは………フィユーだ。 おぉーい」
 魚の動きを追って獲るのを生業とした自分達は物を見定めることに長けている。
「おーーい、フィユー」
 声がわぁんっと辺りに広がっていった。トギシュの声は張りがあって、よく響いていく。でも、人影はのそのそと動くだけだった。
「ったく、アイツは…………フィユーーっ」
 大きな体躯が、くるりと二人の方をむく。
「やっと気付いたのかよ」
 トギシュがこっちへ来いと示唆すると、フィユーが身体の向きをかえて歩き出した。
 がっしりした骨格が筋の肉で覆われる体躯はとても逞しく、頼りがいあるように思えた。少しでた頬骨は厳つい顔立ちを造っている。けれど、大きな目はいつも笑っていた。それは体つきから受ける印象をくつがえし、柔和な印象を与えていた。
「何してんだよ、フィユー」
 トギシュの問いに、フィユーは頭を左右に動かして、まばたき繰り返す。
「さ、さか…な………を―――」
「あーー、何?」
「おれェは……お腹が、なくて…………」
 要領を得ないフィユーの言葉に、トギシュは片眉を吊り上げた。
「はっきりしろよ、お前は!」
「あ、ごめ…な――、んだ」
 びくりと大きな身体を竦ませて、口をもごもごするフィユーをトギシュは責めるよう「はっきりしろって」と怒鳴った。
「フィユー、お腹減っているのか?」
「……うん、そぉーー」
 コウが言うと、緊張を表していたフィユーの顔から力が抜けて、首を何度も縦に動かした。
「相変わらずの馬鹿だな、お前。魚取る為になんで杜へ行くんだよ」
「あう…ぅ………」
 トギシュに脇をこつかれて身体を捻じるフィユーに、コウは大振りの魚を二匹を差し出した。
「フィユー、これやるよ」
「え……でも」
 フィユーが戸惑っている間に、コウは魚を水草で括って持ちやすくする。
「おい、コウ……」
 トギシュが強く肩をひいたけれど、気にせずフィユーの大きな手に水草の端を持たせ魚を譲った。
「あーー」
 フィユーは自分が手にしている魚とコウを、何度も何度も見る。困惑している様子に「いいから」と中途半端な位置で止まっていた手をぐいっと押してやる。
「………」
 フィユーはじぃっと手元の魚を見て、そしてコウを見て笑った。
「ありがとう」
「……うん」
 何度も振り返りながら、フィユーは村へと歩き出した。
 大きな背中がゆっくり移動するのを見ていると、「やれやれ」と溜め息と一緒に落ちた声が聞こえ、視線を横に動かした。大袈裟に肩を竦めたトギシュと目があう。トギシュは口端を吊り上げて「お前、気前良すぎだぞ」と、コウを嗜めた。
「アイツは一人じゃなーんもできない奴だ。村のモンで面倒を見てやらないとすぐ野垂れ死ぬからっといって、上等の魚やってもしょうがないぜ。口にできればなんでもいいんだからよ、小魚二つ三つやっとけば十分だ」
「でも、フィユーがいないと引き綱の仕掛けができないよ」
 引き網の仕掛けは年に一度行う大掛かりの漁で、まるで湖を囲い上げるように網を広げ半日かけて行う。けれど、人一倍力のあるフィユーがいると速く網を引き上げることができるし、フィユーは大量に捕れた魚を捌くのにも優れていた。
「そりゃ、そーかもしれないけれどよ」
 トギシュは、左頬を指先でかいた。
「でもよ、魚を獲る以外はなんもできない。つまりは、それ以外なぁーんもできん馬鹿だ」
「でも……」
「そうだろう? コウ」
「………」
 コウは、頷いた。
 のらりのらり揺れるフィユーの大きな身体はまだ視界から消えない。その姿を見て、トギシュが苛立った口調で言葉を落とした。
「あんなに、ぼぉっとしているのになんで〝迷子〟にならんだ?」
 トギシュが吐き出した言葉にコウは眉根を寄せた。
「また、迷子が……」
 途中で言葉を呑み込んでしまったコウの言葉をトギシュが拾う。
「そう、またたぜ。今度はソングとこの姉貴だ」
「え、チャム……、本当に?」
 コウの見開いた目に、肩を落として悔しがるトギシュが映る。
「本当、だ―――もう、あの華やかなチャムの姿が見られない」
「………トギシュ」
 三つ上のチャムは仲間内でよく話題になった。
 陽の下での作業をどれだけこなそうと、なかなか焼けない肌。やっかみを買ってしまうほどの白さを焼こうと、精を出して働いていた。魚を追って湖に入ると長い髪が肌に張り付いて男衆から囃し声が飛ぶことがあった。その声に真っ赤になるチャムを仲間がからかう度に、ソングと一緒になってトギシュは喧嘩をした。
 チャムは祭りの時纏う衣装がとても映えて、誰もがチャムは綺麗な装いで座っていた方がいいだろうと口を揃えて言っていたが、トギシュは魚のように泳ぐチャムを見るのが好きだと、ぽつり言った事がある。だから、自分が好きなチャムの姿を罵られるのが我慢できなくて、姉思いのソングとよく乱闘を演じていた。
「でも、チャムはヌシ様の御傍にいくことができる」
 トギシュの力強い声音で、コウは物思いから抜け出した。
 トギシュへと目を向けると、足元に沈んでいた小石を湖へと向かって投げていた。
  ボドン…ッ
 鈍い音をたてて、水面を掻き混ぜると、波紋が広がっていく。
「チャムなら絶対ヌシ様のところに行く。俺達を守るモンになったんだ」
 膝裏を擽る水の動きを払いのけるように、トギシュは水から離れた。乱暴に身体を揺すり、雫を掃うと、足先にあたった小石を湖へと投げる。
  ドボォン、
 小石が沈んだところが一瞬大きく抉れる。
「いつもいつもチャムはいるんだからさっ だから、悲しくなんてないぞ」
 握りこんだ拳に荒々しい息をふりかけて、トギシュは言う。
「湖を守れば、チャムもずっと………村を守ってくれるんだ!」
 必死になって声を張り上げるトギシュに聞えるよう、コウは力強く頷いた。
「うん、そうだよね。 事始(ことはじめ)の祭りは、チャムを褒め称える唄から始まるね」
「オウ、そうだぜ!」
 どちらともなく、湖に向き合うと二人は先程とは違い、丁寧に………想いを込めて深く礼を尽くした。
「行こうぜ」
「……うん」
 あと一つ大きな仕掛けをしていたが、充分にあったのでそのままトギシュと一緒に湖から離れた。村へと続く道を駆けていると、のそのそと動くフィユーを追い越した。
「早くしろよっ」
 トギシュは、フィユーの脛に一蹴り入れてから抜かしていった。
「………」
 コウは、擦れ違いざまフィユーの横顔を見た。フィユーは小さな息を漏らしただけで、またのそのそと歩きだす。
「コウーー」
 先を走るトギシュの呼びかけに、コウは前を見る。
「なにぃ?」
「道守りのじー様の前で取り分をくれよっ」
「わかった」
「よっしゃあ」
 コウの返事にトギシュは足を速めて湖に一番近い家、湖へと続く道を守る家まで力一杯走っていった。
 今夜の分と燻製にしてしばらく食い繋げる分があれば充分だったので、あとはトギシュと道守りの爺様に分けた。「恩にきるっ」とコウに礼をいってトギシュは家路を急いでいっだ。トギシュを見送ると、コウも家路に着く。
「おや、コウ」
「あ、おばさん」
「どうだい、カヤちゃんは」
「うん、もう平気だよ」
「そう、良かったわぁ」
 恰幅のよい体躯を何度も揺すってラシュンはコウから伝えられたことを喜び、ぽんと手をあわせた。
「そうだ、コウ。いいものがあるんだよ」
 首を傾げたコウに「ちょっと待っててよ」と言い、家へと入っていく。
 ここ数日寝込むことが多かったカヤを、ラシュンは気にかけて時々看病しに来てくれた。村から外れてある自分の家は、杜を横手にする道を通らなければならない。村人は杜に近づこうとしなかいが、ラシュンは熱をだして寝込んだカヤを介抱するために、節々が痛むようになったという身体で足繁く通ってくれた。杜に入らないとはいえ、それを横手に自分の家へと来てくれる。報いたいと思っていたら、「旦那がいなくなって暇を持て余してんだ、気にすることないよ」と、大きく笑って、痛みを感じるほどに背中を叩いた。
「お待ちどーね」
 そう言って、腕をコウへ突き出した。握り締めた手を上下に動かす。その意図を感じてラシュンの手の下に、両手で器を作ると、小さな粒が落とされた。
 小石に、不透明な布が巻き付いていた――――ように見えた。
「これ、………お守り、なの?」
 村では漁に使う網の素材を利用して作った袋に、家族の髪を納めて自分の守りにする。遠いところでは石や草木をお守りとして使うと聞いたことがあった。
 だから、思ったことを口にしたが、ラシュンは大笑いをした。
「面白いことを言うねぇ。こんなものがお守りになるわけないだろう」
 張り出したお腹の横をぱんぱん叩いて、ラシュンは言う。
「これはねぇ、コクトーという舐め物だよ」
「こくとぉ………」
「痛んだ喉に効くそうだよ。 カヤちゃんと一緒にお食べ」
 コウは笑おうとして……………失敗してしまった。喉を痛めたカヤは呼吸する度に咳き込んでいて、まともに食事が取れなかった時があった。けれど、それ以前に―――もっとカヤの根本的なコトについて遠回りにいわれた気がした。
 口を不自然な形にしているコウを、初めて見るものに困惑していると思ったラシュンは明るく言う。
「なかなか手に入らないもんだから、内緒だよ」
「……………コレ、食べれるの?」
「おや、あたしを疑うのかい」
「そんなんじゃあ………」
「あっはっは、じゃあ、試しに食べてみようかね」
 一粒摘み上げ、包みを取って口の中へ放り込んだ。口に入れてすぐ「うっ…」と、ラシュンは小さく声を漏らした。
「おばさん……!」
 喉を押さえる姿にコウは大いに慌てる。
 水を持ってこようと駆け出そうとしたコウの手をラシュンが摑みグイっと、引き寄せた。低い、唸るような声がとても近くで聞えて、コウは背筋に冷たいものが走ったのを感じた。
「う、うぅ……んまいねぇーー」
「え……」
 顔を上げたラシュンの表情は、これ以上にないほどに満たされていて、思い描いていた姿とのあまりの差に、コウは固まった。 呆然と佇むコウの口めがけて、「それっ」とラシュンが、粒を放った。中開だった口にするりと粒は入った。
 舌先が、粒に触れる。じわり…染みてくる甘さ。転がすと、コンと歯にあたり、小さく砕けてもっと甘くなる。
 初めての感触に驚く。コウは舌を痺れさせるほどに甘いコクトーを何度も舌で転がした。
 その様子を眺めてラシュンは「どうだい?」と聞く。
「すごく、すごく………甘いよ」
「そうだろう」 
 満足そうに息をはき、ラシュンはコウの掌から一粒摘み上げ、目の高さまで持っていく。
「村長の家を出入りしている旅のモンがいるだろう」
「……えっと、大きな箱とか、袋を背負っている人達のこと?」
「そうさ。 村長(むらおさ)様ンとこといろいろな物を交換しているらしいけどね。そのうちの一人と親しくなってねぇ………体調を崩して寝込んじまったカヤちゃんの話をしたら、分けてくれたのさ」
 優しい奴なんだよ、と言ったラシュンの目のほうが今まで見たことない優しさで、コウはまたたきを繰り返した。
「なんでもねぇ、身体にいい草があるらしくて。それをすり潰してクロザトウというもので煮込んで固めたものだとさ」
「骨酒と似たようなもの、……かな?」
 水の中では真っ黒な魚なのに、水揚げされて光に中へ放り込まれると鱗が七色に輝く魚の骨を酒につけて飲むと、汗が流れて体に溜まった毒を流してくれる。村人なら、誰でも知っているコトだ。
「あー、そうそう。そんなこと言ってたよ、あの人もね。 これは喉の痛みを直接とってくれるようだけど」
「そっか、――――ありがとう」
 ラシュンの気遣いに対して余計な心を砕いた自分を後ろめたく思い、コウは深く頭を下げた。
「おやまぁ、コウ!」
 下がった頭を両手で包んで、顔を上げさせるとラシュンは困ったように笑う。
「あんたのトコは、相変わらずヘンな仕種をするね。顔を下にむけたら悪ガキが面白がって頭を叩くよ。 やめなよ」
「………」
 ヌシ様に礼を尽くす格好似ているようで違う、自分の癖。村でそうするとラシュンが言ったように頭を叩かれたり、戸惑われてしまう。
「うん、……気をつける」
「そうしな」
 ラシュンの姿が影と同じように黒くなってきた。そろそろ帰らないと杜を抜けるのに時間がかかってしまう。
「もう、帰らなきゃ」
「おや、いつの間にかお天道様が暗いねぇ」
 西の方角が幽かに光っているだけで、辺りは薄暗い。
「カヤちゃんを待たせるわけにはいかないね、早くお帰り」
「うん。 あ、おばさん」
「なんだい」
 網籠の中から大きな魚を取り出してラシュンへ渡す。
「はい、今日は特に活きのいい魚だよっ」
「おや、すまないね。あたし一人じゃあ食べきれないから、煮くずにしてまた渡すよ」
「うん、じゃあ」
 また明日だねぇっと、豪快に手を振っているラシュンに手を振り返してコウは小走りに家へと向かった。
 家へ行くには杜を通るか、杜を横手に湖を辿っていかなければいけない。湖をぐるりと囲うようにある道は切り立った岩壁で、水面を撫でて吹く風に木々の種が根付かず見通しがよくて歩きやすい。けれど、遠まわりだった。杜は、村人がよくないトコロといって避ける場所だ。水がないのにいつもじめじめしている地面に足をつけ、常に影がまとわりつく空間に踏み込んでいかないといけない。けど、家に早く着く。
 コウは躊躇することなく、いつものように杜へ足を向けていった。
「あ……」
 梢に引っ掛かっているものを見つけ、コウは足を止めた。
 薄汚れた白い布。
 満月の夜に行われた、宴の名残だ。
    今回の宴は、きれいだったな………
 小さな切れ端から、その時の様相を思い出す。
 村の中心にある祭壇前に大きな火が燈される。いつも、魚の生気が充満している場所が一変して、煌々と燃える火が皆の顔を浮かび上がらせ、熱を点す。己の暮らす空間が、別のものへと入れ替わり………皆、高揚していった。けれど、湧きあがってくる感情に身を任せるのには、早い。
 魚を焼いたり、燻したりする以外に焚く火。水を逃がした倒木と飛魚の骨を混ぜ合わせた大きな、大きな火。まるで天で輝く太陽が落ちてきたように輝く火を招くのは、村を訪れた賓客をもてなす為。今回の宴は湖が衰え、日々の生活も儘ならない中で行なわれた。しかも、村長自らが、賓客を村へと導くという特別な宴だった。振舞う食材は限られ、火を熾す係りを担った家の者達は知恵を絞りに絞って、今までにない食を作りだし賓客を喜ばせ、村長から褒め称えられた。けれど、宴に欠かせない卓を彩るものが少ないことは変わりなく、その変わりになるように村人一人一人が着飾り、艶やかで、煌びやかな光景となった。
 いつもとは違う自分の装いに、誰もが心踊り、沸き立つ。けれど、宴は村に来た客を持て成す為のもの。それを忘れてはいけない。芸を、曲を、楽を行い喜びの一時を作らなければならない。
 それぞれ課せられたものをこなし賓客が立ち去る時、席に魚の頭を置いたら宴の主役が村人へと移行する。けれど、尾を置かれてしまったら………すぐさま火を消して家へと帰り、苦味の種を煎じた湯を飲んで寝なければいけない。
 今回の宴は、頭を置いてあった。贅を凝らした食卓がなくとも、満足してもらえたことに、皆が喜んだ。
 いつも以上に沸きたって、近くにいる者と手を繋ぎ、皆で謡いながら火の回りを踊った。その後、仲間同士が集まって手拍子に合わせて唄ったり、勝負をしたりした。赤い光が衰えはじめると年配の者から家へと帰っていき、最後に残るのは年若い者達。火が消えるその瞬間まで他愛のないことにはしゃぎ、楽しんだ。
 久しぶりに宴に参加したカヤも、目を輝かせていた。重い腰を上げて皆の輪の中へ入っていった。謡う代わりに手を叩き、鈴を鳴らしつづけた。
 卓に並べられた品数が少なかった分、いつも以上に賑わった宴は夜闇の中、強く輝いていた。
    そういえば、
 風に薄布が空へと舞っていくのを追っていると、空に舞う白い彩が宴の夜に見た火の粉と重なった。
    あれは、どういう意味だったんだろう?
 仲間のソングの親が、宴の時にそっと耳打ちしてきたのだ。
『お前たち、実は村長様に保護されてるだろ』
 何故、自分が村長と関われるのか不思議で首を傾げた。誤魔化すな、誰にも言わんと意味のわからない質問の答えを求められたが、言われたコトの意味が何なのかまったくわからなくて、首を振り続けた。
『お前たちの親は、村長と懇意だったぞ』
 鼻に皺を寄せて吐き捨てられた言葉に、ただ目をしばたたくだけだった。
「なんだったのか、なぁ………」
 きしりと、足をかけた木が鳴る。
 村から離れたところにあるコウの家。木の根が張り巡る土を踏みしめていると、木の根が鳴った。枯れ落ちた葉もあちこちにあって、小さな生き物が隠れ家にしている。人間に悪さするものもいるので、木の実りを取りに来る時以外は、木の根を辿って歩く。
 自分が歩く音が、森閑に木霊する。
 静けさの中で、魚の匂いが広がる。それは、湖で抱え込んだ思いを引き起こしていく。トギシュの言葉が飛ぶ。フィユーを馬鹿にするうトギシュの声と表情が浮ぶ。それに習う自分も、見える。
 確かにフィユーは、言葉が足りない。知識も足りない。他人と関係を作るのが難しい。
    でも…………、
 パキリ、腐った木の根がコウの重みに耐えきれずに割れた。
    カヤは、フィユーを信頼している―――
 そして、自分も……。俯くと、鬱蒼と繁る草が足に纏わり、絡みつこうと草先を動かしているのが見えた。ゆらりゆらりとした動きが、フィユーの揺れる身体の動きに重なる。
 フィユーはゆっくりとしているけれど、確かな技術を持っている。
 親と死に別れ、村から離れているため何をするにも自分で対処しなければいけない状況に置かれた自分に、いろいろと教えてくれた。人前にでることを怖がったカヤが少しずつ村へと足を向けて、村人と話をするようになった。
 大切な、家族のような存在。
    でも―――――
 はぁ……、重い息がでてしまう。
「大切な、家族なのに……………」
 村ではフィユーを馬鹿にするのが当たり前―――というか、しなければならないという雰囲気があって、自分もそうしている。皆と一緒になって、フィユーを馬鹿にする。
「そうじゃ、ない………そんなこと、したくないのに……………」
 村から離れていて気にかけられにくい自分達。何よりも、これ以上カヤが村人から眉を顰められることになるのは、嫌だった。
「フィユーは大事な友達で、兄さんみたいな………温かい存在なのに」
 零れそうになるものを感じ、コウは顔を上げた。木の葉の隙間から、空を見る。随分と、暗くなっていた。
 自分の心と違うことをしていて、これからもし続けなければいけない―――――そう思うと、身体がバラバラになってしまいそうだった。
 暗黙の了承のもと、行なわれるコトに異を唱えることはできない。
 自分には、出来ない。
 自分はとてもひどいことをしている。でも、そんな自分にフィユーは優しい。謝る事も出来ない自分にいつも変わらずにいてくれる。
 また、重い息を吐く。
「………カヤが、待っている」
 いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。
 コウは、歩き出した。
 パキン、砕けた木の欠片が飛び散る。
 歩くのに邪魔な草を踏みつけていると、枯れ枝を踏み、脆くなった木が砕けたのが足裏から伝わってきた。じりりと痛みを伝える足裏を別の木の根に乗せる。ふと、自分の足を乗せた根の太さに気づく。根元を目で追っていくと、視界に入りきらない大木があった。
「………」
 こんな大きな木があるなんて、今気付いた。
 大木の窪みには土が溜まっていて、そこに根付いた草が花を咲かせていた。
 見たことのない花。とても綺麗だった。
    カヤに教えてやろう
 夕食に話すことが増えた。軽い足取りで、コウは家へと急ぐ。
「ただいま、カヤ」
 二人だけで住むには広すぎる家宅に、コウの声が響いていった。
「カヤーー」
 しん、と冷たい沈黙だけが返ってくる。
「………?」
 いつもならすぐ返事があるのに、返ってくるのは沈黙。
「カヤぁーー」
 暗い室内に入っていくと、何かを蹴った。ちりぃん……、鈴の音が聞えた。
「え…?」
 ちりちり、鈴が転がる。
 鈴は、言葉を持たないカヤの意思を伝える大切なものだ。
 声が出ないわけではない。でも、ただ音を吐き出すだけで、言葉にならない。他人は口が利けぬ者と距離をとったけど、カヤは溢れる感情を身体すべてで伝えてくる。カヤが怒ったり、笑ったり、悲しんだり、いろいろ心を現すたびに鈴が鳴った。
 青くくすんだ表面に小さな光が乗る鈴。それは土くれで作った鈴とは違い、長く高い音を遠くへ響かせていく。カヤの言葉を届けてくれる、大切なもの。
「え、………カヤ?」
 コウの足先に鈴が触れ――ちりん、と鳴った。
 小さな鈴の音が、荒らされた家内に響いていった。













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