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「 翁媼 - 二」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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翁媼 - 二


「おはようございます」
「え…」
 太陽が昇ってずいぶん経ってから目が覚めた。家の中には気配がなく、どうしようかと思ったが、まず太陽の位置を確認しようと外にでたらすぐ挨拶をされて驚いた。
 フサは、畑の手入れをしていたようだった。前掛けで手を拭ってこちらに来る。
「眠れましたか?」
「寝すぎたと、思う」
「それだけ、疲れていたのですね」
 うまく開かない目を何度もこすっていると、フサは土の匂いがする手で一方向を差し「小川で顔を洗うと、さっぱりしますよ」と言った。
 気だるくて、まだ起きている実感がなかったから勧められるままに小川へと向かった。しばらく歩いていくと、澄んだ音が聞こえた。
 ――小さな、水の流れだな……。
 光が水にもぐったり、一緒に流れたりして眩しい。
「色彩が、ない」
 光と一緒に輝く水は、流れる音と戯れる光がなければ、存在を見落としてしまうほどに透んでいる。
 馴染んだ水と比べている自分に気づき、コウは頭を覚ます為に小川に顔をつっこんだ。
「は…っ」
 滴る水を拭うのが億劫で上を見上げると、光に輝く緑に包み込まれる。
 ――ここは、リンなのに。
 穏やかだと、コウは仰向けになって眺め続ける。
 常に闇を孕む、リン。奥へ進めば進むほどに、光は遠ざかっていく。歩き続けた幾日の間、付き纏う闇が怖ろしかった。
 ――でも静かだ。
 リンの中なのに、楽に息ができる。
 木洩れ日を浴びながら、コウはリンの光景を見つめ続けた。
 何をするわけでもなく、リンの様子を感じていたらいつの間にか光が薄れていた。太陽が空から姿を隠そうとしているのだ。光に作られた影と闇の境が無くなろうとしているのを目に映し、コウは来た道を戻った。
 リンの中はやっぱり歩きづらいと、邪魔をする小枝を折りながら進んでいくと、フサがこちらに向かって来るのが見えた。
「良かった」
 顔を見ることができるまで近づくとフサはコウの両手をしっかりと握った。そして、ほぅ、と息を吐く。
「帰ってこないかと思いました」
「え……そんな訳、ないよ」
 荷物はフサ達の家に置いてあるのだから、帰らない訳にはいかない。触れ合う肌に怯みながらコウは答えた。
「ココではないどこかを見ているようでした。だから、望むものを追いかけて消えてしまうのではと、心配しました」
「……」
 戻らないと、決めた。カヤが消えて、フィユーもいなくなってしまったあの村には戻らないと決めたのに……どうしてなのだろう。村で過ごした日々が蘇り、意識を攫っていく。
 ――決めたのに。
 コウは唇を噛み締める。
 ――カヤを探すって、決めたのに……。
 だから禁忌とされたリンに這入ったのだ。
 ――カヤに、会う為に。
 なのに、気を緩めると村で過ごした日々が鮮明に浮かび上がる。不安定で覚束ない感覚に包まれそうになって、思わず吐き出した。
「だめ、だ…」
 こんなのでは、駄目だ。
「オレ、だめだ……全然、だめだ」
 膝の力が抜けて、そのまま蹲りそうになるのを、フサが止める。
「ちっとも、駄目ではありません」
「……だめなんだ。こんなんじゃ、会えない」
「駄目ではありませんよ」
 膝を折って、フサはコウと目を合わせた。
 重圧に押し潰されようとするコウが、ちゃんと自分へ意識をむけるのを確認してからフサは言う。
「貴方は越えてきたのでしょう? いくつもの山を……とても、すごいですよ。春を迎え、命が目覚めたからといって、地上の壁と謂われる山脈を乗り越えたんです。貴方はまだまだ進めます。今は、ちょっと疲れているだけ」
「……」
「さぁ、立って」
 フサはコウを立たせると、手を引いた。
 家はすぐそこだ。幼子のように手を引かれる必要はない。けれど、振り払うことはできず、コウは気恥ずかしさを誤魔化したくて、尋ねた。
「地上の壁、って……何?」
「あら?」
 フサは目を見開き「貴方の歩いてきたところですよ」と言った。
「オレが、歩いてきた……?」
 必死で歩き続けた。前に前に進もうとひらすら足を動かしてきたのだ。大層なものだと教えられても、実感が湧かない。ただ、初めての感じた真っ白な冷たさに身体が動かなくなった時があった。その時の感覚が甦り、眉を顰めた。
 訝るコウに、フサは困ったように笑って、その手を引いて家の中へと入っていった。
「…!」
 家に入った途端、ねっとりとした臭いが鼻を突いた。
 覚えのある臭いだった。
「遅い」
 戸口をくぐった二人を見てそう言い放つと、セシュンは手元に集中した。鈍い音が、セシュンの手の動きに合わせて響き、音と一緒に広がる臭い。
「どうしました?」
 青ざめたコウを見て、フサは狼狽する。
「何、して……」
「え、何ですか?」
 かすれる声を拾おうとフサが屈みこむと、空気が動いて臭いが寄りついて来る。コウは思わず蹲った。
「気分が悪いのですか」
「そうじゃ――」
「お前は……死臭が、嫌なのか」
 セシュンは細かく切りそろえた肉を、炉の火にかけた鍋に入れ蓋をすると布巾で手を拭う。
「死に、触れたのか」
 コウは全身から力が抜け、その場に座り込んだ。血がひいていくのを感じる。鼻を衝く臭いが、あの時嗅いだ臭いにすり替わって、背筋を冷たいものが流れていった。
「これは燻ってあるから血の臭いはないが、それでも生き物だった気配は残っているからな」
「うぐ…」
 セシュンの言葉が、意識をさらに濁らせて臓腑がひっくり返ったような感覚に襲われて……目の前が真っ暗になった。

 * * *

 月が、あった。
 目をしばたかせると、真っ黒に塗り潰されている中から浮かびあがった光が少し欠けた丸になったので、月だと判った。判別できたものを中心に、いろいろなものが見えてきて、自分がどこにいるのかがわかる。
 ――ここは、
 自分に用意された寝床だ。昨日と同じように小窓から月を見てあげている。けど、自分に沁みついている臭いに、意識が混濁してコウは身をよじった。生き物の、生き物だった気配が漂う臭いは、思い出させる。村での起こった、あのコトを……生々しく甦らせる。たまらず、コウは近くにあった桶に身体の奥からせり上がってきたものを吐き出した。
 喉を焼き、鼻を衝く異臭、けれどそれよりも纏わりついている臭いの方が気になる。嘔吐は止まらない。
 吐く物が無くなっても、吐き気は治まらない。
 呼吸をするたびに、とても厭な臭いと感触が広がる。コウは喉に爪を立てた。肌を傷つけてこの苦しさを痛みで塗り潰してしまおうとしても、奥の奥まで沁みついた臭いがそれを許さない。
 どれぐらいそうしていたのか……突然、背中に何かが触れ、コウは目を見開いた。
 涙で視界はぼけて、はっきりと見えない。けれど、いつも間にか背後いる者が、コウの背中をゆっくり、さすっていく。
 驚愕は、伝わってくるあたたかさに溶けていった。
 ――あったかい。
 身体から力が抜けて、やっと呼吸ができるようになった。意識せず呼吸ができるようになると、水を差し出された。清々しい水の香りで吐瀉物にまみれていた口の中を漱いでから、飲み干す。
 随分楽になって、身体を起こそうとしたけど……まだ背中をさするあたたかさに動くことが出来ない。
「あの…」
 あたたかくて、大きな手。
 思い出す。カヤがいなくなって、リンの中で泣いていた自分に優しくしてくれたヒトを……。
 思い出して、声が途切れた。声をかけたら、伝わってくるものが消えてしまう。そう思うと、コウは自分から声をかけるのをやめた。
「食べよ」
 あたたかいさが離れたと思ったら、椀を目の前に置かれた。
「明日から稽古を始める。身体を養っておけ」
 湯気を立ち上らせる汁。あたたかな香りに誘われて手が動くが、根菜に紛れていたモノに気づくと、再び嘔吐感に襲われた。
「…ぅ」
 口を押さえて顔を背けたコウに、セシュンは大きく息を吐いて椀をコウの目の前に差し出してきた。
「食べよ」
「いらな、い……そんな、臭いがするもの」
 臭いの強さでいえば、魚の生臭さの方がきつい。水の中から引き上げた魚は、住むところから切り離されたことを悲嘆するかのように、生臭くなる。湖の恵みに支えられている村にとって、魚は生きる上で欠かせない糧とは言え、大漁で臭いが充満した時、思わず苦笑する者がいた。
 目の前にあるコレは、魚に比べたら然程臭わない。けれど、だめだった。
 燻られた肉。
 火に焼かれた血肉は……思い出させる。
「だめ、だ――」
 広場にかかげられた幾つもの火。その火が……。
「う…」
 その瞬間を見ていただけの自分。ただ、見続けていただけ。
「ご、めん……ごめんね」
「……」
「ごめん、フィ……」
 ここにはいない者にむかって、話しかけるコウの肩をつかみ、セシュンは目線を合わせた。そして、再度言う。
「食べよ」
 容赦ない言いように涙を滲ませたコウの胸に拳をあてて、セシュンは強く言う。
「お前の鼓動……その一つを刻むのにいくつもの命が使われている。これも、その一刻みとなる」
 セシュンはコウに椀と匙を持たせた。
「この椀にあるいくつもの命が、お前の命を生かす。血の通うもの関係なく、すべてがお前を生かす為に必要なのだ」
「……」
 手にした椀のあたたかさが、伝わってくる。
 感情が先走って吐き気を催してしまうが、起きてから何も食べていない。腹は、空腹を訴えている。自分の気持ちを考慮してくれないセシュンの厳しさが恨めしいのに、腹がぐぅぐぅと鳴った。
 コウは、じっと椀の中を見つめ、そして匙ですくって食べた。
 嘔吐感が何度も襲ってきて、もどしそうになったけど、冷酷な老人の前でそんな失態をしてなるものかと、意地になって口を動かした。そして嚥下すると、あれだけ執拗にまとわりついた嘔吐感は消えて、食物を受け入れた満足感が広がってきた。
 おいしい、と。そう思ってしまったことに罪悪感を覚えて手がとまったけれど、セシュンの視線に、自棄になってコウは食べ続けた。
 食べ終えるまでセシュンは傍にいて、まるで見張られているようだった。居心地が悪く、あれだけ厭っていた肉も知らぬうちに食べていた。
 すべて平らげた椀をセシュンに押し付けると、セシュンは口角を微かに持ち上げた。そして、コウの頭に手を置いて、軽く撫でる。
「…!」
 コウは、硬直する。
「明日は早いぞ」
 パタリ、戸が閉まって一人になっても、唐突すぎるセシュンの行動に、しばらく眠ることが出来なかった。

 * * *

 まだ夜の闇が漂う頃、セシュンに起こされ、連れて行かれたのは崖に囲まれた野原だった。崖を見上げてみる。囲まれているようで、落ち着かない。水気の多く、足がぬめる土にとられてうまく歩けない。鬱蒼と緑が繁るっているのが、リンだと思っていた。絡みつく草をはらう。
 ――木のないトコロも、あるんだ。
 泥濘(ぬかるみ)にはまらないよう気をつけてセシュンの後についていくと、崖を背に振りむき、手にしていた棒切れの一つを投げてきた。
 抱くように受け取ると「木刀だ」と、セシュンは自分の手元に残したもう一本の棒切れを両手で握った。
「構えよ」
「へ…?」
「真似をすればいい。構えよ」
 言われたまま、セシュンの格好を真似て木刀を握りこむ。刀の形に模した枝は、ずっしりと重い。でも木の感触だ。あの……触れたところから広がる冷たさはどこにもない。
 力一杯、握った木刀の感触を確めていると、衝撃が走った。
 強く激しい痛みが二の腕まで駆け上がる。あまりにも突然のことで、何が起こったのかわからなかった。
「い…っう」
 コウの木刀は手から離れ、遠くへと転がっていった。
 衝撃に蹲るコウを見据え、セシュンは「お前は、刀の扱いを知らんな」と、静かに言った。
「それは…」
「そんな持ち方では、切り結ぶ時の衝撃が身体を直撃する」
 セシュンは、目を細めた。
「刀を捨てていけ。お前にとって、邪魔なだけだ」
「……」
 それは、出来なかった。
 恐ろしいモノだというのは、解っている。
 でも、自分には必要だ。
 ――カヤを〝迷子〟にした奴等は、持っていた。
 カヤを探していけば、きっと刀を持つ者と会う。
 丸腰で勝てるわけが、ない。人を殺すためのモノを、持っている奴等なのだから。
 ――父さんや、母さんのように……。
 簡単に、命を絶たれてしまう。
 コウは、唇を噛み締める。
 言われた通り、自分は扱い方など知らない。でも、持たずにはいられない。手が、胸元へと動き、を衣服の上から硬い感触を確める。旅立つ自分に手向けだと、渡してくれた玉を布越しに確める。掌に零れ落ちた結晶。不思議な輝きを放つ、この玉が、刀の在り処を教えてくれたのだ。
 持っていけと、言われたようだった。だから、迷うことなく手にした。
 ――カヤ。
 ぬかるんだ土は生き物のようにぐにゃりとしていて、体勢を保ちにくい。コウは立ちあがると、セシュンを睨みつける。
 セシュンはコウの視線を受け止め、言う。
「置いてきたモノに縋るのも、追い求めるモノに焦がれるのも、まだまだ先のことだ」
 木刀を再びコウに差し出す。
「まずは、今を生きなければいかん」
「……」
 同じだ、そう思った。
 村を発つと決意した自分に告げられた言葉と……一緒だった。
 
――――自分を、殺すな。

 カヤを探すと決めた自分を案じ、導いてくれたヒトは、そう言った。もう一度、玉を確める。ここにいない面影が、浮かび上がる。その姿を目にして、コウは心が引き締まっていくのを感じた。
 木刀を構えたコウに、セシュンも構える。
 少しもぶれずに定めらる木刀に圧されそうになる、が……怯んでしまう弱さを跳ね除けるように、コウは叫びながらセシュンに向かって行った。

 * * *

 身体を貫いた衝撃に、コウは前屈みになって、痛みに耐えた。
「そんな体勢、すぐさま斬り捨てられる」
 言うやいなや、木刀が迫ってきてコウは後ろに仰け反り倒れた。
「はっ、ふ…はあぁ」
 全身で息をするのに、空気が入ってこない。
 息をすることに気をとられた瞬間、脇腹に打ち込まれる。
「うが、ゴホ!」
 耐え切れず、片膝をついたが、歯を食いしばりコウは再び構えた。
 何度仕掛けても簡単に返され、打ち込まれる。身体が痺れて、感覚が覚束無くなっていく。泥濘に足がとられて思うように動けない。苛立ち、木刀を力任せに横一文字に動かした。かわされた挙句、コウは振り回した木刀の勢いに引っ張られ、泥水の中に倒れこんだ。
 土の味が、した。
 ざらりとした感覚ごと吐き出し、袖口で泥を拭うと、コウは構えた。
 ――誓ったんだ……自分に。
 瞼を下ろして、弾む息を意識する。
 ――ここで、根をあげているわけにはいかない。
 何故、自分がココにいるのかを改めて思い直すと、息が少しずつ少しずつ落ち着き、思考が働き始めた。
 振り回すだけでは駄目だ。ちゃんと自分の意思で動かさないと意味がない。
 一呼吸を意識しながら身体を動かしていくと、指先の微かな動きも把握できることに気づく。ふと、摑まえることができた感覚に、コウの息がはずむ。
 ――動ける!
 ゆっくりと、強く一歩を踏み出す。
 コウは刀だけでなく、身体そのものも構えた。
 コウの変化を目にして、セシュンは呟く。
「前に、進んでいかんとな……」
 目を窄め、コウを見る。激しく上下する肩の動きに翻弄されて、無様な格好で刀を構えているが、強い意志を宿す目はセシュンを捉えて離そうとしない。
 ――良い目だ。
 力任せに打ち付けてくる木刀をはらいながら、セシュンはコウの動きを観る。
 打ち払われてもそこで終わろうとせず、再び迫ってくる木刀。はらわれたら態勢を崩してしまっていたのに、少しずつ次の攻撃に繋がる動きになっていた。はらわれた反動を取り込み、勢いを増して迫ってくる。刀だけの動きで終わらず、扱う者自身が刀を活かす動きをとるからこそ、できることだ。
「……」
 驚く速さで学び、それを行動している。荒々しく、粗忽な動き。けれど、基礎が身についているのが見て取れた。
 美しい刀の扱い方よりも、刀を握る者を生かすことが……何よりも、大切なのだ。美醜などの後付けの価値観ではない。刃を交える、その瞬間を生き抜く強さが何よりも必要なのだから。
 セシュンは木刀の先をコウに定めて、足を踏み出した。









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