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「 翁媼 - 三」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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翁媼 - 三

 木々の作り出す薄闇を振り払うように走り、光の満ちる空間に飛び出す。眩しさに目をつむり、大きく息をする。
 降り注ぐ光を受け止めるように両手を広げて呼吸を繰り返していると、打撲したところが痛んで、顔を顰める。セシュンとの稽古の後、木に吊るした薪を打っていた。反動で返ってくる薪を避けつつ、攻撃を繰り返す単純な動作だけれど、打ち込んだ力と同じ勢いで襲いかかってくる薪を避けるのは難しく。薪にやりかえされることのほうが多かった。いくつ痣ができているか、衣服を脱いで確認しようかと思ったけれど、痛みが増しそうな気がしたから止めた。痛む箇所を庇いながら小川の方へ向う。
 鳥たちの戯れる声が、頭上を飛び交っている。
 鳥に限らず、生き物をよく見かけるようになった。ココに来た時は、ぽつんとあるヒトの領域が異物なものに思えたけれど、芽吹いた命から力を得た生き物が、暖かさが増すごとに増えて、最初に抱いたもの悲しい印象はなくなった。輝きを増していく太陽に張り合うよう、日々を謳歌する生き物。萌える草木の息遣い。それらを感じられるようになってから、焦燥感に駆られることがなくなった。
 思う時はある。
 早く、行かなければと自分を急き立てたくなる。
 ――でも、まだ……。
 今は、進むことはできない。進み続けるためにも、今はココにいなくてはいけないと、自分に言い聞かせる。
 かさかさと、繁みが動いた。顔を上げると、フサが立っていた。
「痛みますか?」
「いえ、全然…っ」
 小川の中に投げ出していた足を引っ込め、衣服の乱れを直して立つ。急速な動きにずきりと、セシュンに打ち据えられたところが痛んだが、顔にださないようにした。
 一緒に帰りましょうと、フサと家にむかって歩いている時「しごかれていましたね」とフサが言った。
「見てた……いえ、いたのですか?」
 ばつの悪さに顔を俯かせると、頬についた泥がぽろぽろと落ちて、益々恥ずかしくなった。
「ふふ」
 耳を擽った笑い声。
 朗らかな笑顔に見つめられ、戸惑う。
「あの…」
「はい?」
 満面に笑みを浮かべて自分の言葉を待つフサに、困惑する。
「どうして、笑うの……ですか?」
「あら、怒りましたか」
「いいえ! あの……ただ、不思議に思った――いや、思いました」
 コウの言葉を聞いて、またフサは笑みを零した。
「変わりましたね」
「何が?」
「貴方の顔から陰りがなくなりました」
「え…」
 コウは何度かまたたいた後、両手で自分の顔(かんばせ)を触ってみた。
「心が、乱れなくなりました」
 フサは目をますます細め、「良い顔ですよ」と笑った。
「いい、顔」
 どんな顔をしているんだろうと、コウは指先に集中する。
 ――顔なんて、見えない。
 自分ではわからないところを褒められても、むず痒くなって、落ち着かない。ぐいっと、頬を押してみる。乾いた泥がぽろぽろと落ちていった。落ちていく泥の塊を見て、自分がとても汚れているのに初めて気づき、恥ずかしくなった。
「どうぞ」
 フサが塗れた手巾を差し出してきた。いつも、戸口をくぐるとすぐに渡してくれる。汚れた身体を清める用意をしてくれる。綺麗に洗われた手巾に指先についた泥が染みていく。コウは顔を拭い手の泥を拭った。
「桶に水が張ってありますから、足を洗って下さいね」
「はい」
 埃を落として、家に上がる前に汚れた足を洗う。最初、ひどく面倒で厭だったけれど、今は苦にならない。汚れを落として家に上がると、落ち着くようになった。
 どれだけ厳しい指導をセシュンから受けても、そうやって家の中へ入ると、外の出来事とは切り離すことが出来たし、家からでたら稽古に集中することができた。
 ――区切りがあるのはいいことだな……。
 綺麗になった足を、ぼんやりと自分の姿を映る床に下ろす。ぼんやりとした輪郭の自分が自分を見つめる。曖昧ではっきりとしないその姿は、自分ではなく同じ容貌を持つ片割れに見えた。
「御飯を頂きましょうか」
 フサの、その一言で始まる食事。空間を満たしていくあたたかくていい匂い。疲れを忘れさせてくれる、一時。
 ――カヤ。
 片割れの名を、音にせず呟く。
 食事は、二人で過ごした時間を思い出させる。同時に、今は一人だという現実を知る。悲しくなったけれど、リンにいた時とは違って、ただ命を繋ぐために食べるのではなく火の揺らめきと暖かさを感じながらの食事は、やすらげた。
 カヤも、やすらぐ一時があるようにと願いながら、コウはセシュンとフサと一緒に食事を取った。
 食事が終わると、セシュンはすぐ自室へ行く。寝ているだろうか……。ぴたりと閉じられた扉からは何も窺えない。
 扉に隔てられた部屋の様子はわからない。だから、きっとこちらの様子もわからないと思う。
「あの…」
 だから、聞くのは今だと思った。
「シュンナって、誰ですか?」
 フサは、手を止めた。
「稽古の最中に、シュンナって呼ばれたから……」
 芯が燃えて、フサの手元を照らす灯火が大きく揺れた。火の揺れめきに合わせて動く影がフサの表情を隠す。
「それで今日は稽古が早く終わったんですね」
「はい」
 下段から打ち込んだ木刀をはらわれた勢いで背中から倒れこんだ自分に「何をしている、シュンナ!」と怒鳴られた。リンに響き渡るほどの大きな声で言われた名に、呆然とする自分にセシュンは背中を向け稽古の終了を告げると早足に立ち去っていった。
「息子です」
 フサは目を細めて、戸惑いながら……けれど、どこか懐かしむように話し始める。
「下にもう一人。サジュンがいました」
 過去のことを表す言葉に、コウは口を噤む。
「遠い……、ココから遠くにある土地にいたのです。わたくし達は……本当に、遠い遠いトコロにいました。実りは少ない土地でしたが、金が採れる土地でした」
「きん…って言うのは」
「富をもたらし、そして同じだけ戦を生み出すモノ、人の世を動かす輝きです。良い事も悪い事も、同じだけ起こすモノです」
 それが生まれ育ったところでは採れたと、フサは語った。
「旦那様は、土地を治める守り部様に仕える武者(むしゃ)でした」
 灯火が揺れて、影が動く。
「頭(かしら)として武者の集いをまとめ、皆に慕われていました。名の知れた武者だと、旅する者達から聞きましたが……」
 知っていますか、とフサに問われ、コウは首を横に動かした。
 武者という言葉すら初めて聞いた。
「ごめんなさい」
「いえいえ。そうやって人の気持ちを汲むことのほうがよっぽど大切で知っているべきことです」
 フサは、目元を和らげた。
「息子がいたのです……二人の息子が」
 フサは、どこか遠くを見つめた。
「成人の儀を終え、一人と数えられるようになった息子達は武者として戦に行きました」
 ココではない、どこかを見ながらフサは語る。
「一の息子は三度目の戦から帰ってきませんでした」
 過ぎ去った時を手繰り寄せ、けれど悲しいに呑みこまれてしまわないように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「二の息子は初めての戦でした」
「いくさ――」
 前にも聞いた言葉だった。よくわからなかったが、あまりいい思いをするものではない言葉だというのは、わかった。
「戦――決して譲ることのできない両者が争い、抗い、自らの血路をひらいていく、そういうものです」
「……」
 やはり、よくわからない。
 姿勢を正して語られるコトは、真剣に聞くべきことだとはわかるけど、実感が伴わない。
「地の利に恵まれた土地でしたが、長く戦を続ければ土地を守る為に動くことのできないわたくし達は苦戦を強いられることが幾度もありました。激しさの増す戦にでて帰ってこれるかは……誰にもわかりません」
 フサは、瞼を閉じてゆっくりと呼吸をした。
「悲しむことではなかったのです。戦で命を散らすのは誉れ高いことです。自分達の生まれた場所を護ったのです。それに戦に向かう者は、死人(しにびと)として送り出されるのですから……わたくしは、ちゃんと覚悟を持って送り出したのです」
 送り出したはずでしたと、フサは言葉を濁らせた。
「けれど、だめでした」
 頬に落ちる睫の影が、震えていた。
「軀があるわけではなく、ほんの一握りの髪だけを渡されて死んだと伝えられても納得できず、待っていました。息子達が帰ってくると、待って待って、待ち続けて……」
 突然、フサは笑い出した。
 肩が震えていたけれど……おかしくて笑っているようには、見えない。
「わたくしは、自分のことばかり」
 悲しげに笑って、フサは目を伏せる。
「息子らはどこだと……旦那様を責めて、ひどく傷つけてしまいました」
 光が、フサの頬を流れていくのが見えた。
「わかっていたのです。ちゃんと、理解していましたよ。息子達はもう帰ってこないと……ただ、認めたくなかっただけ。変わらずにいる旦那様を見るとその思いは余計強くなってしまいました。いつもと変わらず背筋を正し、毅然と日々を過ごす姿が……無慈悲に思えて、わたくしは息子達が憐れでなりませんでした」
 涙がフサの頬を濡らしていく。
「息子達を求めるわたくしに、旦那様は何も言いませんでした。わたくしの罵言を黙って聞き、愚かに生きるわたくしと日々を過ごしてくれました。そして、いつもと同じように戦にでていき、そんな日々が続くかと思われたのですが……旦那様はお変わりになりました」
 袖で目元を押さえると、フサは背筋を正した。
「いつもと同じです。守り部様を、わたくし達の生きる土地を護る為、戦に行き、帰ってきて……、そして旦那様は、自分を、恥じるようになりました。武者として刀を揮い、守り部様のお役に立つことを誇っていたのに…………ご自分の存在を、否定されました」
 ゆっくり、息を吐きだし「それから、いろいろありました」と、フサはコウに微笑む。
「あの頃では考えられない場所にいるけれど……それでも、わたくしは―――」
 瞼を閉じる。
「なんと言えばいいのでしょう……旦那様が何も言わずにわたくしを受け止めて下さったから、今度はわたくしの番だと、そう思って旦那様と一緒にいました。来るなと、拒まれても……ずっと。各地を放浪して、世俗を避けるようにココへ居を構えました」
 ただ、命を明日へと繋げるために生きている日々。けれど、ココにはそうやって生きるモノ達の存在で溢れていて、自分がその中の一つとして在ると感じたら力が抜けたと、フサは語る。
「ずぅっと張りつめていた心が、ときほぐされました」
 フサは、穏やかに笑っていた。
「ココの静かさは、畏ろしさを私に抱かせた」
 ゆったりと、言う。
「そして、和やかな心を教えてくれた」
「……」
 揺れ動く灯火に浮かぶ横顔には、深い皺があった。けれど、濃い影を顔に描いているそれは、歳月の重みに疲れたものではなかった。積み重なった時間に屈するにことなく、輝いて見える。
 若さは、ただ表面を覆っているだけの薄い力なんだと、内に秘められるフサの力を見て思った。コウはてらてらと自分の肌を光らす灯火から逃げるように身体を動かした。
 芯を焼いた火が微かな音をたてて、揺れる。
 いつまでも顔を見ているのはいけないと、コウは目を伏せたが、フサのやわらかな曲線から伝わってくる優しさが、いつまでも目の奥でちらついていて落ち着かなかった。









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