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「 翁媼 - 五」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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翁媼 - 五


 コウは天井を見上げた。
「わかる訳、ないか」
 家にいた時、こうやって天井を見上げて天道の知らせから時を計った。家の作りが違うココに天道の知らせがないのは当たり前なのだが、わかっていてもつい、見上げてしまう。でも、天道の知らせでわかるのは、太陽の光が満ちている時の区分だ。自分が知りたいこととは、違う。
「どれぐらい、経ったのかな」
 ココに来て、随分経つ。
 凍えるほどの寒さは感じなくなった。肌を刺す冷たさに指先がささくれ、ひび割れることが何度もあった。なかなか直らず血が滲むことのあった、あの痛みは思い出すだけで顔を顰めてしまう。けれど、今は流れる風の心地よさに身を委ねたくなってしまうほど、暖かい。
 セシュンとの稽古は相変わらずだけど、いつまで防げるものかと、ぼやくのを聞いた。自信は持てないけれど、きっと上達しているのだろう。刀の扱いの他に、体術も教わって、軽やかに動くことも覚えた。
 旅をするのなら覚えるべきだと、フサから薬草や山菜の見分け方を教えてもらい、それらを使って食事を作れるようになった。
 ――そろそろ、だ。
 コウは、空を見上げながら思った。だから、セシュンもフサも一人になる時間を与えているのだろう。ココを発つ時がきたのだと、気づかせる為に…………。
 切り開かれた空間だけに広がる空は高くて、眩しかった。
 太陽が昇る前から始めていた稽古は、今日はない。
 光の気配で目覚めた自分に、フサは肉の入った汁物と山芋を練った団子を用意してくれた。精がつくと言っていた。
「……」
 セシュンの姿は、ない。きっと、奥の部屋にいるんだろう。
 流れ込んできた風が、頬を撫でた。
 ざぁっと、木の葉が裏返っていく。
 いつも閉じられている戸はすべて外されていて、家の奥まで光が届く。風に揺れる木々がよく見えた。葉をひるがえし、光を転がしている。
 ――水面、みたいだ。
 思い浮かんだ風景に、コウは目を閉じる。
 頬を撫でる風には、いろいろな気配を感じられる。土の匂いと木の香り。鳥の声も、聞こえてくる。リンに這入ったばかりの時は纏わりつくすべてが嫌で、たまらなかった。でも、今はリンに存在する命の息吹を、受け止められるようになった。心地よいと思えるようになった。
 コウはおもむろに立ち上がり、擦り切れた衣服を繕うフサの邪魔をしないよう、移動して戸をそっと開けた。一針一針を集中して縫っていくフサの、その真剣な眼差しが……カヤの面差しを思い起した。
 音をたてずに戸を閉めると、自分の荷を確認する。
 乾物は、村を発った時に比べて減っている。この先どれだけ歩くかわからない道筋に不安を覚えるけど、すぐその考えを打ち消した。
「今の今まで、食べるのに困らなかった」
 あたたかな食事を持てたんだからと、コウは荷袋の紐を結んだ。
「水は、どうしようか」
 水を入れる筒を見て、眉を顰める。
 この筒では足りなくなる。リンに這入って三日で、水がなくなってしまった。フサに会えなかったら、今の自分はいない。
「大きなものを、作ろうか」
 小ぶりの鉈を持っているから、作ることは簡単だ。小川からそれなければ水はいつでも汲める。
「うん、そうしよう」
 自分のやるべきことを定めると、布に包んだ刀を腰に括りつけ、荷袋を担ぎ、戸を開けた。そして、端座するフサに迎えられた。
「行くのですね」
「はい」
 コウは、即座に答えた。躊躇のない、真っ直ぐなコウの目を見てフサは「どうぞ」とコウへ包みと竹の筒を差し出した。筒は、充分な水を蓄えておける大きさだった。
「小川から離れる時、汲んで下さい」
 器の代わりになるほど大きい葉に包まれているのは、今朝食べた芋団子だった。
「芋団子は二日もちますよ。二日目は固いからよく噛んで下さいね」
「いろいろ、ありがとうございました」
 渡されたそれらを胸に押し当てて、コウは礼を言う。
「それは、わたくしが言うべきことです」
「え…」
 幼子のようにはにかみ、フサはつぃっと視線を外に向けた。コウもフサに倣って緑の溢れる空間を見る。
「芽吹いた緑が光を浴びて深みを増しました。とても綺麗な深緑……暑く厳しい季節がはじまります」
「季節?」
「月の姿が日々変わるように、廻る太陽に合わせて巡る季節があります」
「巡る、季節」
「場所によって季節は表情を変えます。けれど、春は芽吹き、夏は燃え、秋は豊かに実り、冬は命を休息に誘っていきます」
「……不思議な、約束です」
「約束、ですか」
 フサは、きょとりとコウを見た後、嬉しそうに笑った。
「そうですね。そうです、約束です」
 その通りですねと、輝く緑へと目を向けた。
「待ち遠しく、いとしい約束です」
 巡り巡ってゆく季節の中で、現れては消えてゆく命の鼓動。
 獲れる魚や決められた時に催される行事でしか移り変わりを知りようがなかった。でも、もしかしたら杜やリンへ足を踏み入れていたカヤは、細かな変化を、季節というものを見ていたのかもしれない。
「――カヤ」
 聞きたいことがたくさんある。話したいことがたくさんある。
 腰を上げると、「達者で、過ごして下さい」とフサが見計らったように言った。
 悲しさとは無縁の目に見つめられる。
 コウは胸をはり、姿勢を正した。
「ありがとうございました」
 深く頭を下げて、コウはフサに別れを告げる。こうやって頭を下げると、村ではからかわれたけど、フサは穏やかに微笑んだ。
 コウの姿が、木々の影に紛れてわからなくなった頃、奥の部屋からセシュンがでてきた。
「行きましたね」
「そうだな」
 煌めく深緑を眩しそうに見つめて、フサは言う。
「あの子……ココにいる間に、言葉が変わりましたね」
 同意を求めるように言われ、セシュンは片眉を跳ね上げ、コウが消えていった方を見つめた。
「小生意気な子供だった」
 鼻を鳴らしてセシュンは言うが、フサは「変わりましたよ」と、笑った。
 息子達と同じだと、フサは胸の内で呟く。
 父親から戦術を習っていた子供達は知らぬ間に所作や仕種、そして言葉遣いまでも父親から学んでいた。気づけば厳しくて怖くて嫌いだと文句をつけていた相手とそっくりになっていて、そしてそのことに気づいていないのに、笑ってしまったのだ。
「何を、やっていたのか」
「はい?」
 空を見つめるセシュンの横顔をフサは見た。
 空を見上げたまま、セシュンはフサに尋ねた。
「護ってきた地を離れて、どれほど経った?」
「さぁ……長いようで、短くて」
 セシュンは、大きく息を吐き出した。
「儂の我が儘で、長く時間を無駄にしてしまったな」
 晴れ渡った空に、吸い込まれていく息は重たかったが、それを吐き出した本人は光に満ちた空に映えている。セシュンの、その姿を見てフサはひっそりと笑い「楽しいですよ」と言った。
 切り開かれているこの空間だけに広がる空を見続け「コウが、言っておった」と、ぽつり、セシュンは言った。
「村にある水はココのように清らかだが、色彩があったと――深い深い色彩だそうだ」
 組んだ腕をとき、それぞれ膝の上に置いて大きく息を吐く。
「深く美しい彩りの湖を遠くから望むと、空を宿して輝くのが見えるそうだ。天にしかないはずの空の色彩が、地上に落ちているようだと……淋しそうに、そう言っておったわ」
 コウの想いに、知らず自分の淋しさ懐かしさを重ねているセシュンに、フサは声をかける。
「旦那様」
 セシュンが、フサを見る。
 武者としてあった頃よりも、強くて優しい目を見つめ、フサは言う。
「旦那様の、なさりたいように」
「……」
 しばらく押し黙った後、セシュンはつぃっとフサから目を外した。
「空は、もっと広くて大きいそうだ」
 切り開いた空間にある空は高くて眩しいが、限りがある。セシュンは目を伏せ「忘れておったわ……」と笑った。
 フサは微笑み返すと、光の溢れる空を見つめた。










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