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「ふたつ   祈りと願い」の詳細記事: 彩

創作小説を掲載するブログです。 幻想世界を基本に書いていきます。

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ふたつ   祈りと願い



 幾多数多のモノを抱き、眠る山は……恒に畏れられる。

 月のない夜に包まれた山は、闇の中のようだった。
 その中を躊躇なく進むモノ。足場が悪さをものともせず進む様は、泳ぐ魚のようだった。
 悠々と泳ぐ魚を止めたのは、木々の影が重なりあって夜よりも暗い中からでてきた影が立ち塞がったからだ。
 その影も同じように白い衣服を纏っている。所々汚れ擦り切れている衣服から日に焼けた肉付きのよい二の腕は、影を肉を纏う生き物としてのその場に在ることを示す。
 その存在に引き摺られるようにして、森の中を泳いでいた魚も幻想の類ではなく現実を生きるモノとしてその場に立った。
「アカ……お前、最近どこに行く?」
 男は、少女に言葉をかけた。咎めるような響きがある。
「答えられぬのか?」
「答える必要は、ない」
 背を向けた少女引き止めるように、男は声を発した。
「アカ」
 重々しい声が、闇を揺らす。
「里の者は、救う術などない」
「ヒドリ」
「他人の手に有るものを妬み、自分の手に有るものを疎み…………欲するままに行動する破壊魔に成り下がった」
 男、ヒドリは足を進めて二人の距離をなくしていく。
「関わるなよ、アカ」
 男は、アカと呼ぶ少女を抱きしめてもう一度「関わるなよ」と耳元で言った。
 囁くように告げられた言葉に、小さく肩を揺らした少女。男は腕に力を込めた。けれど、少女は男の腕を拒んだ。
「アカ」
 離れようとする少女に、言う。
「父がお前を拾ってきた時から、私はお前を守ると心に決めた」
 少女は、足を止めた。
「わかって、いる」
 男と向き合って少女は言うが――心を押し殺している様が見て取れた。
 何を迷うのかと、男が口を開こうとする前に少女は身を翻した。闇の中を、再び魚が泳ぎだす。
「わかっていない……アカ」
 吐き出された言葉は、悲しみに染まっていた。
「お前は山の者として生きているのに」
 駆け出した少女の小さな背が木々に隠されるまで、男は少女を見ていた。
「お前を殺した里に心を寄せる必要など、どこにもないのに……」
 男の呟きは、山に鎮座する闇に阻まれて、少女に届くことはなかった。

 貴き血脈を汲む者よ、貴きあれ。

 長としての責務。それは、長として在るべし。わかりやすいが、よくわからない。
 季節にそって行われる祭りが近づくと忙しいが、普段は里の安寧を守るという役目だけだ。里の衣食住を支える者達を見守る役目。それは言葉通り、見ていればいいのだ。遠くから眺めるだけでもいい。時間は定まっていない。一瞬でもいいしどれだけ時間を使ってもいい。己の好き好きにやればいい。
 時間をどう過ごすのかが、貴き血脈に課せられている事柄。大概の者は遊興に耽る。
 なら、これもそうなのだろうか……銀は流れる雲を追いながら考えるが、すぐ否と、打ち消す。自分が今ココにいるのは、務めでもなければ、遊びでもない。
「銀、知っている?」
 隣に目を向けると、自分と同じようにどこか遠くを見ている横顔があった。
「何を?」
 どこか彼方を見ていた目が自分へと向けられた。
 不思議な目だな、と改めて思う。
 空の気配が漂う目。
 一見黒と思われる目は、光の悪戯にふれると青味を帯びる。黒雲に隠されていた空が、現れたようだった。こういう目は、あるらしい。光の加減や血の巡りによって変化する目。突如現れる変化に驚愕と恐怖と畏敬を込めて綴られた話が伝わっている。実際、目にすると……なんとも言えないその不思議さに惹きつけられてやまない。
 瞼が落とされ、次に目が開かれた時にはもう空はなかった。
 紅と名づけた少女はまた彼方を見、そして言う。
「乾いた大地を幾つも乗り越えた先に、美しく穏やかな大地があると………」
 銀は、ゆっくり瞬いた。そして、彼方を見る。紅と同じトコロを見つめるよう彼方に目を向け、言う。
「知っているよ」
 二人の見つめる先が、重なる。
「理想郷のことだな」
「そう」
 よくある御伽噺―――という思いは言葉にしなかった。
 あるかどうかわからない世界を、嬉しそうに話す紅の横顔をみたら、自分の考えなんてどこかへ消え失せた。
 ただ、幸せそうに話す紅を見て「いつか、そこに行こう」と言った。紅は瞠目し、そして、はにかんで頷いてくれた。
 それは、見えぬ先を確かにする約束のようで………二人は、一緒に笑った。
 新月の夜。
 星の川がひときわ美しく輝く日に少女に会ってから……四度、月の生まれを迎えた。
 自分が、少女と一緒にいるという現実が嬉しかった。
 紅と名づけた少女。
 再び会えるとは思わなかった。
 銀は目を伏せ、再会した時のことを思い出す。
 日の光を反射させる星の川は初めて来た時に比べて違った印象で少女を象っていた。とても驚いていた。自分も驚いていただろう。しばらく、どちらも動かず互いを見続けるだけだった。見つめる瞳が、空に彩られていることに気づいたのは、このときだった。
『どうして……』
 そう呟いた少女の声を拾い上げると、会いに来たと知らぬ間に言葉が出ていた。
 少女の目が、さらに開かれた。
『何故?』
『会いたかったからだ』
 少女の問いに、自分の心をそのまま言葉にした。
 あの夜――――星の川から生まれる光に照らされた横顔を振り切って里に帰ったが、青い光を背景に佇む白い姿は、忘れられなかった。
 月が満ち時を迎えた今日まで、忘れようとした。日常を過ごす合間の、ふとした時に浮かび上がる光景はかすれて無くなっていくと、思っていた。
 ――けれど、
 ひっそりと、微笑んだ少女を忘れることはできなかった。寧ろ、時が経つにつれ、鮮明になる。
 いつもと変わらない時を過ごしながら、いつもとは違っていく自分に苛立ち、ココに来た。
 自分の内に留まる幻想を潰してしまうつもりで来たのに……。幻想を生み出したものに会うと、胸を燻っていた憤りが突然消え失せた。
『よく、来るのか?』
『え?』
『ここには、よく来るのか……紅』
 少女、紅が自分を見た。水の音が、二人の間を流れていく。昨日降った雨の力を呑みこんだ星の川は、どぅどぅと激しくうねりながら流れていく。流れが、まるで二人を隔てているようたと思い、銀は苛立って対岸にいる紅を見失わないよう、睨むように見る。
 水音の激しさに、隔たりが作られているような感覚に囚われそうになった時、音を掻い潜って聞こえてきた。
『ここに来たのは、あの時が初めてだ』
 激流の音が、聞こえなくなった。言葉を綴る紅の声だけが、耳に滑り込んでくる。
『我等は里に近づかないから…だから、もう』
『朔の日に!』
 紅の言葉を遮るように、銀は発した。
『月の隠れ日と生まれ日である、朔の日に会おう』
 紅の目に、空が見えた。手の届かない空の輝きが……自分に向けられる。
『会おう』
 自分の言葉に小さく、けれど確かに紅は頷いた。
 そして、四度。
 二人が再会してから、四度、月の変化を見届けた。

 里には、惰性と安穏がある。
 山には、危うさと叡智がある。

 長い時間を積み重ね、空に近づいた木に登り、里を見る。
 拓かれた土地には、たくさんの人影があった。
「……」
 山の者とは違って、集まりあう習性を持つ里の者。息苦しいまでに密集しあって同じ様な行動を取る。けれど、同じ様でいてそれはどこかまとまりがなかった。無理をして同じ様な振りをしている――――近くにいって、里の空気に触れて抱いた疑念を確信した。
 里は、何か根本的なコトが欠けていた。近づかない方がいいと、判然とした答えがでる。けれど、納得できない。行くべきでないと、思うのに……行きたいと思う。相反する思考に煩悶し、視線をさ迷わせていると山の作り出す陰影が一つの姿を模り、息を呑む。
「あ…、しろ――」
 零れた声に息を呑み、口を覆う。
 幻影はすぐに消えたけれど、濃厚な山の空気が自分の心をカタチにしたコトに動揺する。時々あることだが、その姿を見た瞬間、鼓動が速まり、頬が熱くなった。
「何故…?」
 息は重たく、熱い。
 どくりどくり、鼓動がうるさい。瞼を下ろし、落ち着こうとしてもますます大きく響いて、思考をかき乱す。
 息を吐き、大きく吸い込む。
 澄んだ空気が体中を満たし、少しずつ幽かな葉音が聞こえてくるようになる。静かに呼吸を繰り返すが……、残影は消えない。
 吐き出す息に再び熱が籠もりそうになったが、こちらに向かってくる気配に、唇を引き締めた。
「アカ」
 自分を示す音に、体が強張った。自分を呼んだ声音には険しさがあり、振り返ることも出来ずにその場に立ち尽くしていると、もう一度呼ばれて……息を吸ってから振り向く。見慣れた姿が、そこに在った。
「里に行くつもりか?」
「…」
「今までにも、里へ行っているな」
 苛立ちを込めて、言われる。
「何故だ、アカ」
 両腕をつかまれ、顔を上げるよう促される。憤りに歪んだ顔を思い浮かべていたけれど……、間近に迫る目は不安定で、宿る光がゆらゆらと揺れて零れ落ちそうだった。
「お前は、山の者だ」
 腕を摑む手が、背中に回される。
「アカ」
 溜息のように、零れる音。
 その音を耳にして、肌が粟立つ。
「呼ぶな…」
「何?」
「呼ぶな」
「アカ?」
「それは、私ではない……呼ぶな!」
 髪を振り乱して拒絶する少女に、男は一瞬言葉を失った。
「何を言うか。この音が、お前自身を表す」
「……呼ぶな」
 遮るように発せられた声に、男は黙った。けれど、自分を見る目は男の意志を明確に伝えてきて、その眼差しに、苛立った。
 唇を噛み締め、自分を見つめてくる目から逃れたくて瞼を下ろす。言葉にしたい想いがあるのに、カタチにできなくて、それが自分の胸を突き刺す。苦しくて、耐えられなくて……口を開く。
「私は、違う」
「何?」
「アカではない」
 自分に触れる手を振りほどく。
「違う」
「何を、言っている」
「違う…違う違う!」
 もどかしくて、抱え込んだ蟠りを吐き出すように叫んだ。
「忌むべき過去を宿す音などではない。そんなモノが私を表すなんて……」
「アカ、誰がそのことを――」
「山の者達は、皆知っている!」
 息を呑む男の、その動作に何故かよけい腹立たしくなり、声が荒々しくなる。
「ヒドリが隠そうとしただけだっ」
 疾風のように駆け、縦横無尽に暴れまわる、つかみ所のない感情(ココロ)を、ぶつける。
「私には、ちゃんと名がある」
 見開かれた目に、自分が見えた。自分を守ると誓った人を責め立てる、ひどく醜い顔をした自分が映っている。自分が自分を睨んでいる。
 堪えられなくなって、顔を背けた。
 漂い始めた沈黙を、男の吐き出した息が散らした。
「里の者と、会ったのか」
「……」
「今も――、会いに行くのか」
 何も答えずにいると、また沈黙が二人を包んでいく。山の生み出す清閑とは違う、冷たく重い閑けさが、肌を刺す。
「アカ、これを持って行け」
「ヒドリ…っ」
 差し出されたものに、目を見開く。幽かな光をはじくソレの形を確認し「こんな物は必要ない」と押し返す。
 木々の生気に中てられやわらな輝きを放つ光が、ヒドリの持つモノにあたると硬質で冷たい光になって周囲を貫いていく。
「里は、穏やかな所だ。退魔の叡智は必要ない」
 惰性に動いてはいても、安寧を守ろうと必死に生きている。このような代物を持っていっては過剰な反応を招いてしまうだろう。
「持って行け」
 腰紐に押し込まれて、その硬さと冷たさが肌に伝わって……震えた。獣の血肉を切り分ける時に使うものと同じ。研ぎ澄まされた冷たさだった。
「里の穏やかさは、今やまがいもの。山との境を無くしたばかりか、伝えられた言葉まで忘れたのだ。何が起こっても、おかしくはない」
 アカ、と言われて心がざわめいた。ずっと言われていた音だけれど、今はその音に苛まれる。
「山の者であるお前は、異物と見なされる」
「……」
 俯くことを許されず、頬を包まれ顔を上げさせられると、真摯な目に見つめられた。
 いつもこの目が、自分を見てくれていた。守ってくれていた。
「それでも、行くというならば鉄から生み出された叡智を持って行け」
「……わかった」
 ずしりと重みを伝えてくるソレを、確かめるように指先でなぞっていくと、ふとこれと同じ感触に触れたと思った。里の長の務めがある時、持っているのだと見せてくれた短刀と、同じ作り……。
「ヒドリ」
 柄の先と側面に彫りこまれた紋様はまったく同じで、思わず息を呑んだ。
「これは、里にも…」
「そうだ。里の者も持っている。 限られているがな」
 叡智は、山の者に伝わる術だ。里に伝わる技とは違う。同じものがあるわけない。
「何故?」
 形を成した叡智が、鋭利さを極めた退魔の叡智が……何故、里にあるのかと、ヒドリに問う。
 ヒドリは、肩を竦める。
「里にある退魔の叡智は、山の術で作ったものだ」
 呆然と、ヒドリを見る。ヒドリは眉間にはいった力を抜き、息を吐いた。
「山と里は分かれてはいるが、その実、隔たりなどない」
 信じられない言葉だった。
「命の息吹を感じ、溶け込む我等と、自ら作り出した場所で息をする者達は互いに交流しあっていた」
 貶める言葉でしか互いを知らない山と里。それを打ち破ることを、ヒドリは語る。
「遠い……昔のことだ。けれど、いつしか里の者は自ら作り出した世界だけを信じるようになり、その世界を揺るがすものを拒むようになった。そして、山の者も山の一部となることを選んだ」
 どこか遠く見つめる目が、瞼に隠される。
「それでも互いの存在は伝わっていたのだが」
 ヒドリは大きく息を吐いた。
「いつしか、里の者はそのことを表す言葉を失った――――そして自らの作り出した地がすべてだと奢り、命を貪りだした」
 ヒドリの声が、山の静寂を壊していく。定められたトコロにおとなしく治まっていた闇がざわめきだしたような気がして、身震いする。
「初めて、知った」
 そう言って、ヒドリを見る。眼差しの鋭さは隠せれなかった。
「……ヒドリ」
 聞きたいこと、言いたいことが綯い交ぜになって言葉にできない。その苦しさが形になったのは目の前の者を示す音だった。
「ヒドリ」
 ヒドリは、視線が絡まるのを避けた。
 その行為に、苦しさが増す。自分がどれだけ躊躇っても真っ直ぐに見つめてきた瞳を、今……ヒドリは逸らす。
「教えたく、なかった」
 アカと、呼ばれる。けれど、応えたくないと、反抗心が湧き上がり顔を背けた。
「里はすでに壊れているのだ。だからお前は――」
「もう、行く」
 何も聞きたくなかった。
 これから、会いにいくから……会えるのだから。もうこれ以上、掻き乱されたくない。
 ――銀。
 朔の日は、相反する理が鎮座する。
 おわりとはじまりが、同時に存在する日。
 ヒドリの言葉を聞くと、何かが壊れて戻れなくなってしまうと感じた。
 ひんやりと、冷たい風が首筋を撫でる。
 肌に馴染んでいるはずの山の気配が触手のように絡み付いてくる。いつもは木の葉を揺らすだけの風が根元まで降りてきて、苔を抱く湿った大地を荒らし、木々の合間を潜り抜けてゆく。それは轟音を生み出し、木霊となって遠くまで響いた。山が……唸っているようだった。
 行くな行くなと、言われているようだった。
 絡みついてくるものを振り払って山を降りる。引き止め続ける山から逃げるようにいつもとは違う道を使い、里へ向かった。

  * * *

 どうでもいいと、思ったら足が崩れてその場に倒れた。
 大地を覆う白さに自分が染まる。
 冷たいと感じたのは一瞬で、すぐに何もわからなくなった。
 吐いた息が、空から落ちてくるものと同じ色彩だった。
 ひたり、肌に落ちてくる白さ。ひたりひたり、肌の温もりを奪おうとはりついてくる。吐き出す息が、ちりちりと頬を撫で、宙に舞う白と混ざった。
 白く塗りつぶされた景色を見て、ここはどこかと思う。
 ――どれぐらい、歩いただろう。
 川から拾い上げられてから、今の今までどうやって生きてきたのだろう。そして、それももう……終わりだろう。
 自分を塗り潰していく白を見つめていると、音が聞こえた。
 音というより、振動だった。すべてが白に埋もれていく中、抗うように動くものの存在を示している。
「赤い…」
 そう呟かれた言葉に、視線を動かすと鮮やかな模様が見えた。
「冷たく塗りつぶされていく世界にそぐわない華やかさだな」
 肌に描かれた彩りに目を奪われる。
 こんなにも鮮やかなものがあるかと思うと同時に、自分はまだ物事に関心を持てるのだと息を吐く。
 冷えた指先が、唇に触れる。
「薔薇のように鮮やかな唇」
 覗きこんできた男が唇をなぞり、笑う。口の端を吊り上げた、酷薄な表情を作る男を見たいと思わなくて瞼を下ろすと、浮遊感に包まれた。
「気に入った」
 すぐ近くで聞こえた声に驚いて目を開くと、鮮やかな彩りに包まれた目が笑った。
「蟒様」
 私がと、手を差し出してきた男を無視し、自分に触れる男は「鶴来(つるぎ)、道を違えるなよ」と人を抱えているとは思えない軽々とした足取りで進んでいく。
「ショウビ」
 呼びかけられたような音に顔を向けると男と目が合った。
「雪に覆われた大地に咲いた稀な薔薇……ショウビ」
 男の目に浮かんだ喜びに踊る模様が視界に一杯に広がる。奇妙な感覚に包まれ、意識が遠のいていく。
「お前の、名だ」
 違う――と、思った。何故そう思うのか、どうしてそう思えるのか解らなかったけれど、違うと強く否定する想いが湧き上がってくる。
 その名は、自分の名ではない。
 心の叫びは、微かな吐息を吐き出しただけで終わり、白い世界に呑み込まれて意識が薄れていった。


 願っていた。
 私を、見つけて。
 私を見つけて――そして、私を呼んで。
 見つけてくれるのを、ずっとずっと待っている…………。


 赤い彩りを秘めた眼。
 自分を見つめてくる目が、教える。忘却の彼方に追いやってしまった過去を、伝える。
 ――そうだった……。
 自分は、赤く染まったのだ。
 ――思い、だした。
 赤くなった手。初めて、命を損ねたその感触に悄然とした自分がいた。一つ、過去の取り戻すとその情景に連なる物事が次々と見えてきた。眩暈がするほどの勢いで溢れてくる過去。それらを観て、胸に痞えていたものが消えていくのを感じた。
 山の者。
 私は、山の者と呼ばれる民の一人として育てられた。荒れ果てた大地に阻まれる事なく、山と山を渡り歩いては、叡智を磨き、生み出していく者として生きていた。
 だから、破壊の術を持っていたのだ。
 蟒が自分を高く評価したのは、軽やかな体裁きや武器の扱いだけではなかった。蟒は、自分が訥々と語った言葉に意味を見出し、いろいろな物を作っていた。
 ――そうだった。
 肩から零れる髪。自分の髪を見るたびに思った。もっと美しく艶やかな白銀の髪があると。自分はそれを見て、あたたかな気持ちになっていたと、思っていた。どうしてそんなコトを思うのか、疑問を持つことはあったけれど、ふっと、滲み出てくる幻影を追い求めていた。自分が何者なのかわからなくなっても、ずっとずっと……求めていた。
 ――私は……。
「紅」
 呼ばれ、震えた。
「あ…」
 目の色彩が違ったけれど、ずっとずっと追っていた幻影が今、目の前に居る。そして、呼ばれる。
「紅」
 すぐそこに在る、幻影。
 驚きと喜びと、何故か悲しみが沸き起こって、体の震えが止まらない。
 呼ばれる。
 自分の名を……。
「あ、……ぅえ」
 ショウビとして、蟒の持ち物として生きるようになって、話すことを、止めてしまった。心をカタチにするのを止めても、何も問題なかった。必要とされていたのは山の者の知識。誰も、自分が言葉を作ることを望まなかったから、だから、自分の心を音にする方法を思い出せない。
「……ぇあ」
 でも、言いたい。
「お…、ぁ」
 体の奥底から湧き上がってくる想いをカタチにしたい。
「しろ、ネぇ」
 言葉が作れない。もどかしくて喉に爪を立てると、手を包まれた。
「……っ」
 自分を見つめてくる眼。
 ――赤い、
 美しいと感じた赤い色彩を紅と呼ぶと教えてくれた人の目も、美しい赤だった。
「し、ろが…ねェ」
 赤い彩りに自分が映るのが、とても嬉しかった。
 心をカタチにできると、溢れて止まらなくなる。ぽろぽろ、ぽろぽろ。止まらずに、溢れ出る。
「か…っ、悲しかった」
 赤い彩りに包まれることに歓喜しながらも、悲しみと苦しみと痛みが溢れる。
「――とても。とてもとても……」
 カナシカッタと、紅は涙を流した。
「紅…」
 体を不安定に揺らしながら、紅は銀を呼んだ。
「会いたかった、銀」
 紅の細腕が、銀を包む外套をつかんだ。
「呼んで欲しかった……銀に、私を」
 紅と、呼んで欲しかったのだと言う。
「会いたかった」
 自分を呼んでくれる人。
「銀……会いたかった」
 紅の指先が、荒れて血の滲んでいる指先が、外套をつかむのを見て――銀は瞼をきつく閉じた。
「銀」
「……」
 銀は、唇を噛む。込み上げてくる想いを出さないように、きつく噛み締める。
 会いたかった。ずっと……探していた。ずっとずっと、求めていた。
 けれど、実際に会うと――許されるのかと、思ってしまう。

 あの時、信じなかった。

 確かに感じた、二人の繋がりを自ら断ち切ってしまった。赤い色彩に染まった姿に、おののき……伸ばされた手を拒んだ。震える指先から、目を逸らした。
 助けを求めていた紅を、拒絶した。
「銀」
 あの時拒んだ指が、……自分に触れる。
「私は、嬉しい」
 紅は、銀の頬を辿る。
「銀に会えて、嬉しい」
 冷え切った肌の感触に、暖めようと紅は掌で銀の頬を包んだ。二人の間に入り込んだ雪が融けて、すべっていく。流れ落ちていく間に、雫にはあたたかさが宿っていった。
「会えないことが……何よりも、私は――」
 伝わるあたたかさは、ココに相手がいるのだと教えてくれる。求める相手が、自分の傍にいる。嬉しさと戸惑いが胸をざわめかせる。
 離したくない。
 もう、離れていたくないという想いに束縛されそうで、銀は拳を握り締めた。
「私は山の者で……」
 紅が、白い息を吐き出した。
「でも里の者でもあった。里の者なのに、山の者で……けど、銀は里の者だった」
「紅…」
「山の者として生きることを疎んだ。だって、銀は里の者だったから…………一緒にいる時ほど、山の者である自分が厭になった」
 銀の傍に居たかったと、紅は笑った。
 さらさらと、白銀が舞う。風に乗り、やがて天と地の境を消し、世界に存在するのが二人だけのような錯覚を作り上げる。
「紅」
 震える声で、銀は紅を呼んだ。
「許して、くれるのか」
「何、を……許すと?」
 銀は「そんなの、決まってる」と、自虐的に笑った。
「俺のことだよ」
「銀を?」
「紅のことを、信じられなかった」
 自ら、繋がりを絶った。なのに、どうして笑ってくれるのか。
「俺は……」
 離れたくない。そう、喚く自分がいる。
 ――紅を傷つけたのに……。
 様変わりしてしまうほど、深く傷つけたのに、自分は、また紅を傷つけやしないか。
「銀、どうしたの?」
 紅は、銀の右の瞼から右頬へと手をかざし、縦に走る傷を辿った。
「目は――傷の所為で色彩が変わったの?」
「……」
 この傷を負うことになった経緯を思い出し、銀は体を強張らせた。
「銀?」
 この傷は、刻印だ。犯した罪を示す。
「すまない、紅」
 痛みを忘れない為のもの。
「すまない……」
「銀、どこに…っ」
 離れると、凍えた空気が二人の間にすべりこんできて、あたたまりあった肌を冷やしていく。
「だめだ」
 温もりを奪われていく肌が、傷む。
「俺は、紅に触れることはできない……だめなんだ」
 忘れることは許されない。
 紅を信じなかった。それ故に捻れて無くなってしまった現実。紅にたくさんの痛みと苦しみを負わせてしまった。
 粉雪が風に舞い、銀の姿を隠していく。
「銀……嫌、嫌だ!」
 風が、吹き荒ぶ。舞い踊る雪にすべてが白く塗りつぶされていく。
「もう、離れているのは……嫌なのに」
 吹き荒ぶ風が天と地の白銀を狂い躍らせ、紅の悲痛な想いを呑みこんでいった。













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